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完璧じゃなくていいじゃん
若い人でも、年を取った人でも、過ぎ去った過去のことを考えるのは日常茶飯事だ。
今朝のこと、昨日のこと、昨年、十年前、子供の頃のこと。
過去の記憶がその人間を形成しているのだから、ふとした時に過去のことを思い出すのは当たり前のことだ。
そして、過去の記憶というのは、必ずしも思い出したいものばかりではない。
日常のなんでもないことをしている時、何かから連想して遠ざけたい記憶が浮かび上がってくることがある。
あいつに嫌なことを言われたとか、こんな酷いことをされた、という記憶もあるだろう。
あの子に変なこと言っちゃったとか、あの場所でこういうことをして恥をかいたとか。
それが些末なことであっても、避けられない災難だったとしても、あるいは自分のしてしまった失敗だとしても、今思い出しただけでも「ウワーッ!」と声を出してしまいたくなるようなことはある。それが、他の人が経験してないことだったりすると、よりいっそう、自分だけがそんなことに陥るくらい劣っていて、自分の人生にケチがついたような気持ちになることもある。
しかし、考えてみると、そういう経験を他の人もしていないとは限らない。
僕は交通事故に遭ったことはないけれど、僕の知り合いの何人かは遭ったことがある。そして、思い起こせば、あの時一瞬でも判断が間違っていたら事故に遭っていたかも?というタイミングは全くないわけではない。
同じように、そういう災難や失敗をたまたま自分が目にしていないだけで、他のみんなも恐らくたくさんの災難や失敗を経験しているはずだ。
何故なら、人生は初見プレイのゲームのノーミスクリアより難しい。ミスをしていない方が変なのだ。
もし目の前に、完璧に見えるカッコいい超人がいたとしても、その人も失敗しながらそこにカッコよく立っていると思ってみよう。
そうすると、自分の落ち込んだ気持ちにも多少は余裕が出てきて楽になるかもしれない。人は記憶だけでなく、たくさんの要素が重なってそこにいる。ようするに、その人のように苦難や失敗をものともしなければいい。
完走を目指して頑張れプレイヤー。