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ジェームズ・ボンドは帰ってくる

「大手事務所のVtuberが卒業する」というニュースがインターネットを駆け巡り、みんなてんやわんやになっている。
Vtuber黎明期の2018年8月にデビューしてからずっと業界を牽引してきた人物が卒業する、というのは多くの人が複雑な気持ちを抱くことだろう。

僕はアイドルを応援したことがなく、そのためにアイドル卒業のニュースを見て悲しくなったこともない。何故なら、卒業したアイドルはその後、大抵は役者として有名タイトルの邦画に出演したり、タレントとしてバラエティ番組に登場したりすることが当たり前の光景になっているからだ。
しかし、Vtuberの場合は、その外見や名前を含め多くの権利を事務所が所有していることが大半だ。そのため、“卒業”となったらその活動を二度と見ることはできなくなる。だから「悲しい」「つらい」という気持ちになる人がいるのは十分理解できる。

とはいっても、「卒業=死」と捉える感覚はなかなか受け入れ難いものがある。
それは、一部の人が言うような「漫画やアニメの好きなキャラクターが死亡して悲しい」という感覚に近いのかもしれない。けれども、それは作者という存在がその出来事を必要と考えてそうしているものであり、必要だと考えれば蘇らせることも時間を巻き戻すこともできるだろう。現実に生きて活動をしている人が“卒業”するのとは訳が違ってくる。
また、その卒業によって「死んだ」ように見えたとして、それは権利というものに縛られ「死んだ」ように見えているに過ぎない。
つまり、チャンスがあればいつだって生き返ることが可能ということだ。

ジェームズ・ボンドという世界的に有名なフィクションのスパイがいる。
彼は、1953年にイアン・フレミングという作家によって生み出された。
そして、1962年に映画化され、俳優ショーン・コネリーが演じることで初めてこの世に生きた姿を見せたのだ。

彼の演じたジェームズ・ボンドは今や伝説であり、現在でも彼の演じるボンドが一番だと言う人がいる。
コネリーのボンドは1962~1967年の間に5作品が作られ、『007は二度死ぬ』を最後にショーン・コネリーはボンド役を引退した。
これがいわゆる“卒業”に当たるだろう。

しかし、次にボンドを引き継いだジョージ・レーゼンビーはコネリーよりもずっと若く、コネリーが築いてきたイメージとはかけ離れていた。各方面からの評価も良くなかったため、レーゼンビーのボンドは『女王陛下の007』のみで終了することになり、1971年の次作『007 ダイヤモンドは永遠に』では卒業したはずのコネリーが再び復帰することになったのだ。

『ダイヤモンドは永遠に』でコネリーは再び引退し、以降はロジャー・ムーアが3代目ボンドとして名を馳せることになる。
では、それによってコネリーのボンドは遂に死を迎えたのだろうか。
ところがどっこい、1983年にシリーズとは別に作られた映画『ネバーセイ・ネバーアゲイン』でショーン・コネリーは12年ぶりにジェームズ・ボンドとして復活を遂げる。
これは、過去のシリーズの脚本を書いた人達の間で訴訟が起き、キャラクターや物語の権利が分散された複雑な事情による。とはいえ、そのような大人の事情が功を奏し、コネリーは2度目の引退からカムバックを果たしたわけである。

そして、時間は流れ、ジェームズ・ボンドの映画は20作以上作られるほどの長寿シリーズとなった。ロジャー・ムーア以降のボンド俳優もすでに何人もいて、それぞれが独特の味を出して人気を博している。
2000年代になると、ショーン・コネリーもすっかり老人役が似合うほどの貫禄が出て、俳優として長いキャリアを積み上げていた。若い世代にはボンドの俳優としてもすでに認識されていないほどである。

しかし、2005年に発売されたPlayStation 2のゲームタイトル『007 ロシアより愛をこめて』で、ショーン・コネリーは再びジェームズ・ボンドの声優として現代に蘇ったのである。

ゲームクリエイターのセンスや技術によって、若き日のショーン・コネリーが演じたボンドの特徴がそこには再現されており、何十年の時を経て、みんなが愛した姿でコネリーボンドの魂はまた世界に舞い降りたのだ。

何が言いたいのかというと、卒業は決して“死”などではないということだ。
Vtuberが誕生してからまだ6~7年程度。卒業してわずかに会えない期間はあるかもしれないが、人生は長い。ボンドが見舞われた大人の事情のようなことが、またいつどこで起こるかも分からないのだ。
そこに魂が生きていることを知っているのなら、いつか復活することを信じて、その日まで強く生きればいい。
ジェームズ・ボンドだって何度も帰ってきたのだから。

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