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面白くない小説はそもそも書けない

小説を書こうと思うと、色々なアイデアが浮かんでくる。
こういう主人公を出したいとか、こういう会話をさせたいとか、こんな展開があったらいいなとか、その想像の翼はどこまでも羽ばたかせることができるだろう。
しかし、いざ書いてみるというターンになると、そこには色々と問題が出てくることもある。

以前『新しい小説の書き方』という記事で、「箇条書きのような形でも、とにかく書いてみよう」ということを記した。
このやり方自体は、今でもかなり有用だと思っている。小説でも戯曲でも脚本でも、まずお話の土台ができてしまえば、そこを基礎にしてじっくりと考えることができ、より緻密に会話や描写を作り込むことも、余計な部分を削ってシャープにすることもできる。
なので、真っ新な状態から話を書き始めるのなら、まずは完璧でない箇条書きのようなものを目指し、思いついた展開だったり会話だったり自分の中の考えをそのままに書いていくのがいいと思う。

ところが、どんなに簡素に書いていったとしても、書いている行程でこの土台となる部分が面白いと思えなければ、そこから先へ進んでいくのはかなり苦労することだろう。
僕は先程、ある大学教授と少年が出会って国や時代による文化の違いなどについて議論を交わす話を考えて、土台となる大筋を書き始めてみた。
すると、最初はこの大学教授の生態や謎について色々面白く書くことができたのだけれど、教授と少年が喫茶店で出会うシーンで手が止まってしまった。理由は単純、面白くなかったからだ。
大学教授が喫茶店に入り、コーヒーを頼むか頼まないかでマスターと一悶着し、メニューからコーヒー以外のものも注文し、そこでふとしたところから店にいた少年との会話が始まる。大まかにそんな場面を書こうとした。
しかし、これが書いているこっちからしてもつまらない。こんな場面を延々書いていても何かが伝わるわけでもないし、ここが後々伏線になってくるとも思えない。もし伏線にしたいと思うのならもっと面白く書くべきだ。

思いついた通りにこうした場面を書いてみた時、まだアイデアが固まっておらず面白くできていないと思うのなら、その場面はまだあまり詳しく書き込むべきではない。上の例で見たら「教授と少年は喫茶店で出会った」くらいに書きとどめておくのでいいだろう。

人間の想像力は無限大だが、書き込んでしまうことで思考に制限がかかってしまうこともある。「なんとなくこんな場面を書こう」と思って書いてみるとつまらなかった、なんてこともよくあるものだ。
しかし、土台の部分を書いている時点で「つまらないなぁ」と思いながらもだらだらと書いてしまったら、後からそこを詳しく書こうとしたとしても面白くなりようがない。そもそも、最後まで書き進めるのも難しいはずだ。

自分の作品の最初の読者は、自分自身だ。ならば、書いている時も「面白いものが読みたい」という自分の気持ちと向き合って、自分の心が動かされるかどうか何度も話し合いをしながら、物事を進めていくのが一番良いだろう。

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