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飽食のインターネッツと現代の魑魅魍魎
「最近、太っちゃった」ということはないだろうか。
どうして太ってしまうのかと言うと、単純に、美味しいものをパクパクと食べて、食べ過ぎてしまうからだ。
人は、成人で1日に約2000~2500キロカロリーほどのエネルギーを消費するという。なので、1日の食事がその1日の消費カロリーを上回ってしまうと太ってしまう。とてもシンプルだ。
もし、美味しいお菓子やケーキを目の前にたくさん積まれて「好きなだけ食べていいですよ」と言われたらどうだろう。
栄養バランスやダイエットを気にして食べるのを遠慮する人もいるだろうが、そうでないなら好きなだけ食べてしまうだろう。
イチゴのショートケーキやチョコレートケーキは、一切れがだいたい360キロカロリーほどだ。二切れも食べたら720キロカロリー。ポテトチップスは一袋で560キロカロリーもある。
この手の美味しいものを食べていたら、あっという間に摂取エネルギーは消費エネルギーを飛び越えて、ぶくぶくと太ってしまう。
何故、人間はこんなに太りやすいのだろう。美味しいものをもっとたくさん食べられるようになっていればいいはずではないか。
でも、これは仕方がないことだ。大昔は、人間が1日に獲得できる食べ物(エネルギー)の量は限られていて、その限界ギリギリを上手に生存してきた。それが、火を使ったり物を作ったりすることで、より便利に効率よくエネルギーを集められるようになってきた。
そのため、人間の身体自体はそのままなのに、獲得できるエネルギーの量だけが莫大に増えているという状態になっている。
人間の身体というのは、何十万年も前からほぼ変わっていない。こういう状態を、人間の身体はもともと想定していない。人類がこんなに飽食になったのは、長い歴史の中で初めてのことだ。
だから、身体は美味しいものを目の前にしたら、高エネルギーだろうと構わずにどんどんそれを摂取したくなってしまうのだ。
これは、食べることだけでなく、コミュニケーションについても同じことが言える。
今の時代は、みんなが何気なくインターネットを使っている。
僕自身、小学生くらいの頃からパソコンを使って、インターネット上の掲示板にポチポチとコメントを書いたりしていたけれども、周りの友達でそういうことをしている人は数えるほどしかいなかった。
それが、大人になるにつれて、携帯電話でメールを送り合ったり、スマートフォンでアプリを使い、FacebookやTwitterやInstagramで色々な人とコミュニケーションを取るようになった。
今では、Youtubeを見たりすることも、X(旧:Twitter)で誰かと挨拶したりすることも、すっかり当たり前の日常になってしまっている。
しかし、このように、ほぼ全ての人類が実際に誰かと対面することなく相互に絶え間なくコミュニケーションを取ることができるようになったのは、この十数年程度の歴史しかない。
だから、人の身体も、これだけ多くの情報の波が流れ込んでくることは想定していなかったはずだ。
人間の想像力は限りなく豊かなものだと思う。しかし、それはその器たる人間の身体と取り巻く環境がしっかりと整備されていて初めて正しく運用されるものだ。
実際に誰かと会って話をすることも、雑誌に掲載された漫画を読んでその感想を手紙に書くことも、インターネットのコメントに対してコメントを返すのも、全て同じ“コミュニケーション”ではある。
けれども、今の時代はあまりにも情報が多すぎる。大量に流れ込んでくる情報に神経を張り詰めさせすぎることは、身体にも心にも相当なストレスを与え、人の想像力は蝕まれてしまう。
想像の力は侮れない。
Bさんが「AさんがBさんの悪口を言っていたよ」という話を聞いた時、Aさんは何もしていないのに、BさんはAさんに対して悪感情を抱くかもしれない。Aさんを傷つけてやろうとするかもしれない。だが、その悪感情はBさんの想像力から生まれ出てきたもので、本来は存在しなかったものだ。
同じように、流れ込んでくる大量の情報に感情を乱されて、一つ一つに「こういうことを言っておかないと」「こういう考えには反論しないと」と過剰に反応していると、それが自分に関係あろうとなかろうと、何か意見をぶつけてやらなければ気が済まなくなってくる。
たとえ、自分が相手のことをよく知らず、相手も自分のことをよく知らなかったとしてもだ。
そこにもはや、コミュニケーションはない。自分の想像の中で作り出された敵を言葉をでねじ伏せることが目的となり、やがて、情報を正しく受け取ることも疎かになり、相手が何を言おうとしているのかにも注意を払えなくなる。
結果として、目の前に人間の意見らしきものを見かけたら、何かを言わずにはいられない、文字は読めるのにコミュニケーションの取れない悪霊が生まれてしまうのだ。千年前の陰陽師もびっくりすることだろう。
僕たちは、自分たちがこうした悪霊になってしまわないように、常に注意を払わなければならない。自分は何を伝えたいのか。相手は何を伝えたいのか。想像する力はそこに費やされるべきだ。
そして、もし自分が悪霊と遭遇してしまったら、どのようにして身を守ればいいのかを考えなくてはいけない。
インターネット上の悪霊は相手を生きた人間とは思っていない。何故なら、相手の姿が見えず、また見ていないからだ。都合の良い言葉しか聞かず、読まず、自由自在に認識を変化させ、自分の意に沿うように相手の感情を食い物にしようとする。
そういうものと遭遇したのなら、意思の疎通はできない。なるべく早く逃げるしか方法はない。
なるべく言葉を交わさず、目も合わせず、刺激しないように、上手にその場を離れる。そんな野生の猛獣と出会った時のような対処法が望ましい。
悪霊は、人間の想像力から生まれる。
そして、大昔の陰陽師が人形や式神を使って、鬼の目を欺いたり惑わせたりするのも、陰陽術が“認識術”であると考えれば、なるほど理に適っているのかもしれない。
ともすれば、現代に生きる僕たちも、悪霊の目を欺き上手に躱す術を身に付けていかなければならないのかもしれない。
現代のインターネッツで情報を食べ過ぎた魑魅魍魎から身を守るために。