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ココロのスキマ
この世は老いも若きも男も女も、ココロの淋しい人ばかり……
そんなみなさんのココロのスキマをお埋めいたします。
いいえ、お金は一銭もいただきません。
お客様が満足されたら、それが何よりの報酬でございます……
これは、漫画家の藤子不二雄A先生によって描かれた『笑ゥせぇるすまん』の台詞である。原作は1968年頃に描かれた『黒ィせぇるすまん』だが、1989年に『笑ゥせぇるすまん』としてアニメ化されて大ヒットした。ブラックユーモアの名作である。
原作から50年以上・アニメから30年以上経っているというのに、この喪黒福造の台詞は何故だか現代人の心にもずんと突き刺さってくるものがある。
ここでいう、ココロのスキマとは一体何なのだろうか。
喪黒の言い方からすると、それは、心のうちの寂しさとか満たされない気持ちなどと表現できそうである。どれだけ時代が進もうとも、人のココロはいつだって繊細で寂しいものである。
それはすなわち、心の弱点とも言えるような気がする。
人が誰かと争って、傷ついて泣いたり怒ったりするのは、全て心の弱点によるものだ。そして、現代は「心を大切にしよう」とみんなが口にはするけれど、その反面、あまりにも心が無防備になっているようにも思える。
とりわけ、今の時代はあれやこれや他人と比べたりするのが簡単にできてしまうために、ココロのスキマも昔より大きく広がってしまっているのではないだろうか。
人に言われて傷つくような言葉は、昔も今も山のようにある。
「学歴が低い」だの「子供を産んでない」だの「育ちが悪い」だの「年収が低い」だの「不細工」だの「陰キャ」だの。たとえそんなことを誰もが言わないようにしていても、他ならぬ自分自身がそのことを他人を比べて気にしている、ということは往々にしてある。
イケメン俳優が華々しくデビューして話題となり、次々とメジャーな作品に出演してキャリアを重ねたとする。
その俳優がきちんと努力をしてそのことを評価されていればまだいい。しかし、芝居も上手くないままでずっと引っ張りだこになりながら、経験を重ねた熟練の俳優や努力してきた実力者たちに囲まれていれば、否が応でも「自分は顔だけで選ばれている」ということに気がつく。そして、誰が言ったわけでなくとも「自分にはそれ以外には何もない」と感じるようになる。
それはそのまま自らのココロのスキマになる。
劣等感や不安は一番分かりやすいスキマだ。そして、そこには「みんなが気づいていない真実」だとか「選ばれし人」だとか「目に見えない世界」だとか「○○で他に差を付けろ」だとか「一発逆転」だとか、自分の不足を満たすような甘い言葉をここぞとばかりに投げかけてくる連中が現れてくる。
ココロのスキマは大きければ大きいほど狙われやすい。無防備な心はその言葉に思わずすがってしまい、しまいには誰かの食い物にされてしまう。
みんなも努々気をつけることだ。
自分の言われたくない言葉が山のようにあるということは、その分、そこに付け入ろうとする不届き者によってジャックにされる可能性も高いということだ。
だからと言って、すぐに「自信を持て」とか「不安になるな」と言われても無理な話だろう。
しかし、自分がどんなことに傷ついて、怒りを覚えたり悲しくなったりするのか、それを少しだけでも振り返って考えてみることはできるはずだ。
自分の傷つきやすい部分をわずかにでも心に留めておけば、侵入者に出くわした時、ある程度はその侵略を防ぐことができるだろう。
残念ながら、それは完全な方法ではない。対策も虚しく、侵入を許してしまうかもしれない。
しかし、自分の心はそうやって自分で守ることしかできない。戦って強くなるしかないのだ。