【映画評】『ロッキー』:ロッキーは万病にだいたい効く
まずは、この音楽をちょっとだけ聴いてほしい。
パッパラパッパラパッパララー🎺
パッパララッパララッパララー🎺
ロッキーを知らない人でも、この音楽はどこかで聴いたことがあるだろう。あまりにも有名なアメリカ映画『ロッキー』のテーマ曲だ。
『ロッキー』はボクシングの映画だ。
どんな話かと言うと、場末のリングで試合をしている三流ボクサーのロッキー・バルボアが、ひょんなことからヘビー級の世界チャンピオンであるアポロ・クリードと対戦することになる、という話である。
1976年に公開されてからというもの、その面白さからたくさんのシリーズ作品が作られ、さらにはその後継シリーズの最新作が2023年に公開されるほどで、もう50年近く愛され続けている名作だ。
「ボクシングには興味ないし、ちょっとなぁ…」と思うかもしれない。
でも、ちょっと待ってほしい!
ボクシングのシーンは実はそんなに多くなくて、それよりもむしろボクシングに向かうまでの、ギュッと凝縮された人生こそが面白い本編だったりする。
何しろ、この映画は、主人公のロッキーが売れない三流ボクサーというところからスタートするのだ。
ロッキーは何も持っていない。家族はいないし、試合に出てなんとかケガをして勝っても40ドルくらいしかもらえないし、ボクシングの賞金では暮らしていけないから、マフィアに雇われて借金取りをしてお金を稼いだりしている。
しかし、やさぐれてはいても、根は良い人だったりする。金魚に“モビーディック”という名前(『白鯨』に登場するマッコウクジラの名前)を付けて可愛がっていたり、会う人にジョークを言ったりもするし、借金を返せないで逃げている男を可哀想に思って見逃してしまったり、不良とつるんでいる近所の子供に説教したりもする。
でも、要領が悪くてうだつが上がらない。そのせいで、ジムのトレーナーにも諦められて邪険にされてしまう。説教した子供にも馬鹿にされる始末。
本人も「このままではダメだ」と思いながらも、どうしたらいいか分からず、どうしようもなく生きている。
人生どん詰まり、どんなに頑張っても無駄。
そんな彼が、世界チャンピオンが仕組んだ気まぐれの対戦で、一躍世間の注目を浴びることになってしまうのだ。
誰かに「お前はクズだ、負け犬だ」と馬鹿にされたことはあるだろうか。
ロッキーはそういう人生を送ってきた。運も良くないし、環境にも恵まれず、才能もない。価値がない奴として雑多に扱われて、誰にも見向きもされない。
一方で、世界チャンピオンのアポロ・クリードは本物だ。運だけでなく、多大なる努力を積んでそこまで登り詰めてきた。正真正銘の実力者だ。
そんな男との大試合。
それはチャンスではあるけれども、実力の差は歴然であり、そこらでいい加減なチンピラをやってきたロッキーに勝てるわけがない。
そう、勝てるわけがないのである。あっけなくやられて恥を晒すのは目に見えている。
じゃあどうする。
絶対に勝てないのだから、諦めて最初からテキトーにやっておけばいいのだろうか。
そうではないはずだ。
ロッキーは、世界チャンピオンと戦うために必死のトレーニングを始める。
死に物狂いで勝つことを考え、今までやれなかったこと、誰にも言えなかったこと、向き合いたくなかったことにも向き合い、その気持ちを汲んだ多くの人たちの協力を得て、ひたすらに強くなろうとする。
それは、チャンピオンに勝つためではない。
「結局、頑張ったって何も意味がない」という自分自身の人生に打ち勝とうとしているのだ。
僕たちも、人生のいたるところで幾度となくつらい出来事が降りかかってくるだろう。
しかし、決死の一試合に向かうロッキーを見る時、そんなつらさと戦う勇気をもらえるはずだ。
どんなに苦しくても、勝ち目がなくても、諦めて泣きたくなるような時でも、これだけ頑張っている人がいる。そんな人を応援していると、こちらも頑張れるような気がしてくるのだ。
この映画の脚本を書き、主演をしたシルヴェスター・スタローンは、この映画からハリウッドスターの道を歩き始めた。
この映画は、彼の波乱万丈でスペクタクルな人生の序章でもある。ロッキーの人生は、撮影当時のスタローンの人生と重ね合わせだ。
この映画を見れば、そこに映された魂が本物だということをまざまざと感じられることだろう。
[引用]
John G. Avildsen (Director). Rocky [Film].
UNITED ARTISTS CORP (1976)