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【アニメ評】『ターミネーター0』第2話 Model 102

引き続き『ターミネーター0』の第2話について論じていく。
(第1話の論評は【アニメ評】『ターミネーター0』第1話 Model 101を参照)


預言者とタイムトラベル

第2話は、人類がタイムマシンを準備し、女戦士エイコを過去に送るシーンから始まる。
第1話から登場する預言者の老女は、ここでもタイムトラベルについて異様に詳しく解説をしてくれる。会話から察するに、この老女はそれまでにも様々なことを“予言”し、人類の生存に貢献してきたことが窺える。
であるならば、この老女は核戦争前の過去にターミネーターと戦ったことがある、あるいは過去にタイムトラベルに関連した出来事に遭遇して未来を知った、ということが推測できる。

ここで老女から「タイムトラベルで新たな時間軸(タイムライン)が形成される」「しかし、その時間軸(タイムライン)は長くは開いていないため、一度閉じるともう同じ時間には追いかけられない」という仕組みが語られるが、これはこの作品で初めて登場したロジックである。
過去作において、人間側の戦士も敵のターミネーターも、未来からはそれぞれ1体ずつしか送られてこない。「一度に何体も送ればいいじゃないか」とか「一回送られた後は何故これほど時間が空くのか」と言及されることに対するエクスキューズだと考えられる。

そして、エイコの過去への転送が開始されるが、その最中にターミネーターによる襲撃を受け、虐殺が始まる。エイコの妹が幼い子供をかばって撃たれそうになり、エイコが手を伸ばした瞬間に過去へ飛ばされる。
これは前話と同様、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』の引用である。カイル・リースが過去へ転送されるまさにその瞬間、スカイネットがジョン・コナーに背後から襲い掛かってくるシーンだ。
『ジェニシス』では、これが後の伏線となり、作品自体の方向性をガラッと変えてしまったのだが、本作においてはこのシーンがどのような意味を持つのかはこの時点で明らかではない。
しかし、ほぼ流用と言っていいほど同じシーン構成となっており、いささかオリジナリティに欠けた場面に見えるのは残念なところだ。

マルコムの子供たち

シーンが変わり、マルコムの子供たちの様子が描かれる。
ここでは3人の子供たちのそれぞれの性格の違いが描かれているが、ケンタの描写は他の2人と比較してもやけに過剰だ。レイカが一時的に開封したロボットコネコを叩いたり、蹴飛ばしたり、あまつさえレイカの目の前で解体しようとする。コネコを「それ」と強調していることから、『ターミネーター2(特別編)』のサラ・コナーのように機械を嫌悪しているのかと思いきや、ケンタ自身の表情には怒りも嫌悪感も無く、単なる好奇心でそうしているように見える。
子供たちは3人とも母親を亡くし、レイカは猫に対する思い入れがあることは前話で明かされたが、にもかかわらず、ケンタからレイカへの配慮は見られない。さらには、部屋に閉じこもってしまったレイカを引きずり出そうと、針金でドアをこじ開けようとまでする。
弟のヒロにも「もう放っておこうよ」と言われているが、まさしくその通りだ。一体何が彼をそこまでさせるのだろうか。

結局、このことからレイカは“キャットタウン”へ行くためにコネコを連れて部屋を抜け出してしまい、ケンタとヒロもこっそり後を追うことになる。
子供たちは何も知らないとはいえ、前話ですでにターミネーターが過去に送られたことが描かれている状況で、子供たちだけでわざわざ外に出る展開になるには、どうしても動機付けが弱い。
それこそ、ケンタが何か傷つけるようなことを言ってレイカが家を飛び出すようなきっかけがあれば別だが、ここでは単にケンタが借り物のコネコロボットを取り上げようとしたに過ぎず、あまり深刻な様子はない。ミサキがうっかり目を離しているのも都合が良すぎるように思える。

武器開発と自己破壊

シーンが変わり、マルコムとココロの会話シーンである。
前話でココロが3体の人型の姿に変化したことについて、日本語版では「対話のための姿」と言っているが、英語版ではそのことに関する台詞は無い。

日本語版
マルコム「ココロ、その姿は気に入ったか?」
ココロ「人間に似た姿である意味は分かります。対話のための姿、そうでしょう?」
マルコム「ああ。そして、答えを導き出すための…」
ココロ「その答えがどのようなものであっても?」
マルコム「ココロ……君には何もかも見透かされているようだ」
ココロ「オンラインになった私が人類の敵となる。その可能性をあなたは否定できないでいる」

英語版
ココロ「うまくいっている?」
マルコム「何がだ?」
ココロ「この会話のこと。あなたの設計。期待通りの結果が出ている?」
マルコム「分からない。だが、この実験から得られたものはそれほど多くはない」
ココロ「あなたが恐れているのは、私をオンラインにしたら、私が人類に反旗を翻すかもしれないということ。その時は、私があなたの言う“避けようのない破滅”の一端を担うことになる」

このシーンで話されているのは「人類は救うに値する存在か?」という哲学的なテーマである。
人類は、他の種を圧倒する知性や能力を持っており、それはより素晴らしい世界を作ることができる“可能性”を持っていた。しかし、その力を「お互いがより効率的に殺し合うための武器」を作ることに費やし、その最高峰の武器として“スカイネット”が誕生したのである。

英語版
ココロ「あなたは、そうやってスカイネットを人類文明の終焉として責めるけれど、でもスカイネットは、人類が本能的に自らを滅亡させようとした結果生まれた、一つの副産物なのでは」

スカイネットのディティールを掘り下げようとする、このアプローチは面白い。
今までのシリーズでは、スカイネットが何故人類を滅ぼそうとするのかはほとんど明かされていなかった。どの作品でも、自我に目覚めると即人類の敵となり核ミサイルを発射する機械のような描写がされており、知性を持った存在としての奥行きはなかった。
(『ターミネーター: 新起動/ジェニシス』では、スカイネットや機械化したジョン・コナーがサラやカイルを機械側に勧誘してきたり会話したりしていたが、敵であるのにそこまで人間的な意思疎通をしているのもまた変である)

かろうじて言及されていたのは、『ターミネーター2』の中盤におけるT-800の台詞だ。

T-800「スカイネット法案が可決され、1997年8月4日にシステムが稼働を開始する。人間は防衛戦略から外れ、スカイネットは急激な速度で学習を開始し、そして東部標準時間午前2時14分、自我に目覚める。人間は恐怖に駆られ、プラグを抜こうとする
サラ・コナー「それでスカイネットが反撃を…」

『ターミネーター2』における原作者ジェームズ・キャメロンの構想では、「スカイネットが世界中のコンピュータを制圧して人類に核ミサイルを撃った」のではなく、「“互いを殺し合わせるために”ロシアに核ミサイルを発射し、ロシアが報復としてアメリカに核ミサイルを発射した」という設定になっていた。
その点で見ると、武器開発と自己破壊について話すマルコムとココロの会話は非常に重要であり、原作の精神に沿った内容と言えるだろう。

日本語版には「スカイネットは人類の自己破壊の副産物」という台詞はないが、これは是非とも入れてほしかった。これがあることで、このシーンが単に哲学的に人類の歴史を振り返りたいわけではなく、ココロがここで何を言いたいのかがより掴みやすくなったはずである。

マルコム、街へ行く

子供たちが家を出たことをミサキから知らされたマルコムは、ココロとの会話を中断して車で街へ出る。
このシーンで、コルテックス産業の建物付近でカラスが突然死亡するカットが入る。コルテックス産業への抗議団体も「NO公害」とか「NO電磁波」といったプラカードを持っていることから環境保護団体と思われる。
公害も人類による自己破壊と見れば、ココロと人類の自己破壊の話をした直後のシーンとしてはかなり皮肉な演出である。

一方、家を出たレイカは、駅の立ち入り禁止区域を通って、明かりも点いていない閉鎖された地下街を徘徊し始める。レイカの年齢はせいぜい10歳前後と思われるが、大した度胸である。

ところで、この世界では「湯谷」という企業が大きく取り上げられているらしい。ロボット“1nno”を開発しているのは「湯谷工業株式会社」だし、土地の再開発の看板にも「湯谷地所開発」とある。『エイリアン2』を監督したジェームズ・キャメロンへのオマージュなのだろうか。少し気になるところだ。

その後、すぐにケンタとヒロがレイカと合流するが、再びケンタはコネコを取り上げようとする。いい加減にしろ貴様。
そして、コネコロボットも勝手にどこかへ走り去ってしまう。人間の命令を聞かず危険な場所へ走っていくペットロボットは、商品設計としては問題ないのだろうか。

ターミネーター襲撃

ミサキと合流したマルコムは、ミサキに小言を言いながら高速道路を走る。ミサキとの会話から、レイカの行先が東京の端のキャットタウンであることが分かるのだが、マルコムは子供たちの行先も分からないまま高速に乗ったのだろうか。

そして突如、マルコムらはターミネーターの襲撃を受ける。道路に飛び出してきた男が実はターミネーターだったのである。
ここで現代でのターミネーター戦が初めて繰り広げられるが、やはりテンポが非常に遅い。フロントガラスを破って襲ってくる様は恐ろしいが、全体的に能のようにゆっくりとしている。駆け付けた警官らに襲い掛かる際にも直前に一呼吸遅れるような間があり、歩くのも遅く、全力で走ったら逃げられそうに見える。マルコムもマルコムで、常に後ずさりで相手に合わせてジリジリと動いている始末である。ミサキは全く反応できていない。

ところで、ターミネーターは何故マルコムがここを通ることが分かったのだろうか。
ターミネーターはヘルメットや作業服を身に付けているが、工事作業をしながらマルコムを待ち構えていたとは思えないし、マルコムが子供たちを探して高速道路に乗ることなど誰にも予想できなかったはずだ。謎である。

そして、マルコムがターミネーターの銃で撃たれそうになった刹那、エイコのトラックが間一髪で駆け付けてくる。
その隙に、マルコムはふらふらのミサキを起こし、子供たちの捜索を任せ、自分は足早に現場から逃走する。「ターミネーターが襲ってきたのは自分の研究が成功する証拠」という理由は確かに納得できるが、形としては「何も分からない状況で家政婦に全てを任せて逃げた」ようにしか見えないので、あまりカッコよくないことは確かだ。
また、日本語版では「子供たちを見つけろ! 必ずだ!」しか言っていないが、英語版では「これで人類を救える! ココロの元に戻ってこれを終わらせなければ。君は子供たちを!」という台詞があり、ここにもニュアンスの違いがあるだろう。
ちなみに、英語版にはマルコムの「命令だ、ミサキ!(I order you, Misaki!)」という台詞があるが、これは『ターミネーター2』のジョン・コナーの台詞のオマージュと思われる。

一方、エイコに妨害され車に挟まれたターミネーターはエイコに向かって拳銃を発砲する。
このシーンで、ターミネーターは残弾2発を撃ち尽くすのだが、弾切れにもかかわらず3回引き金を引く。この演出はおかしい。
日本の警察官の多くは、1960年頃から現在に至るまで、回転式(リボルバー)拳銃のニューナンブを所持している。総弾数は5発。ターミネーターは、拳銃を持っていた警察官が威嚇射撃で1発、自身への発砲で2発撃っていることを認識していたはずである。また、リボルバーの構造上、残弾数が外からでも見えるので、残弾数が分からないはずはない。なので、2発撃って弾切れとなったら、引き金を引くよりも投げつける方が戦術としても正解である。
ターミネーターは武器と殺人の専門家だ。であれば、弾切れを分からせる演出よりももっと戦術に長けた殺人鬼としての恐怖を演出してほしいところだった。

エイコの目的

トラックごとターミネーターを海に沈めて撃退したエイコは、マルコムの行先を知るべく、今度はミサキを追い詰める。
エイコの「マルコムを止めるためならなんだってやる(英語版)」という台詞から、今までのシリーズのように「ターミネーターから対象を守るために未来からやって来た」という理由だけで来たのではないらしい。
また、マルコムのAIを「武器」と呼んでいることから、エイコのいた2022年はすでに既存シリーズの時間軸とは異なり、スカイネットの他に別個のAI(ココロ?)が存在し、それが人類にとって不利な状況を招いているということが推察できる。また、ミサキもココロが何なのかは知っている様子だ。

しかし、ここでの会話はエイコの説明不足もあって、非常に飲み込みづらい。つまり、こういうことだ。

  • ターミネーターはマルコムを殺しに来た(第1話でも「抹殺目標」となっている)

  • エイコはマルコムのAI開発を止めに来た(そのためにはなんでもやる)

  • しかし、マルコムに死んでもらっては困る(なので、ターミネーターに追いつかれる前にマルコムに接触しなくてはならない)

  • ターミネーターの次のターゲットは子供たち(交渉材料にされる)

この会話から分かるのはこのくらいだが、エイコは壊滅的に交渉がヘタクソである。ミサキが先程のターミネーター戦を見ていたことを思えば、エイコの方でマルコムやその家族を殺しに来たわけではないことを最初に説明しておけば、ここまでややこしい状況になることもなかっただろう。
英語版の台詞でもかなり話がこじれている。

日本語版
エイコ「マルコムには子供がいたはずだ、3人!」
ミサキ「え?」
エイコ「ターミネーターがマルコムの元に辿り着けないなら、次は子供たちに狙いを定める! 子供たちはどこだ!?」
ミサキ「ダメ! あの子たちの命だけは!」
エイコ「だったら、ヤツに見つかる前に私を子供のところへ連れていけ!」

英語版
エイコ「子供たちだ! マルコムには3人の子供がいたはずだな!」
ミサキ「…!」
エイコ「お前が正しければ、ターミネーターは直接マルコムには接触できない。子供たちが次のターゲットになる。子供たちがどこか教えろ!」
ミサキ「ふざけないで!(Fuck off!) あなたには何も教えないわ!」
エイコ「ヤツが子供たちを殺すぞ! 場所を教えれば助けてやれる!」

意思疎通が全く取れていないのがお分かりであろう。
日本語版のミサキは早見沙織さんが声優を務めており、とても透き通った清楚な芝居をしているのだが、英語版の台詞では「ファック・オフ!」という言葉が飛んでいるのも面白いポイントだ。
しかし、過去シリーズでも、敵なのか味方なのかでゴタゴタしている場面はあったが、どれもあまり成功はしていない。こうしたやり取りはもう少しスマートに見せてくれても良かったと思う。

地下街の描写

ところ変わって、次のターゲットとなった子供たちのシーンに戻る。
ここで、彼らのいる地下街が、1950年代に戦時の爆撃に備えて作られた地下都市の一部であることが説明される。
このシーンは、日本語訳があまりにも不正確なので翻訳を載せておく。

日本語版
ヒロ「これってどこまで続いてるのかな?」
ケンタ「昔の地下街だけど、結構デカいよな。確か、どっかの会社が買収して、再開発を始めたとかって」
ヒロ「なんで知ってるの?」
ケンタ「父さんが言ってたんだよ」
レイカ「(看板を見ながら)ここって、50年代に作られたみたい。戦争の後に。きっと、また爆弾が来た時のために、街を丸ごと一つここに作ろうとしたんだ」
ヒロ「なんで知ってるの?」
ケンタ「本で読んだんだろ」

英語版
ヒロ「ここって何なの?」
ケンタ「モールか何かだったんだろ。前に父さんと地下鉄に乗ったことがあったよな。廃駅に連れて行ってもらった。あれはたぶん、この下のどこかだよ」
ヒロ「ここ、嫌いだよ…」
ケンタ「心配すんな、すぐ外に出るから」
レイカ「(看板を見ながら)ここって…1950年代に作られたみたい。戦争がきっかけで。また爆弾が来た時のために、完全な地下都市を作ってその一部にするはずだったのね」
ヒロ「どうしてそんなのが分かるの?」
ケンタ「“文字通り”読んでるからだろ」

ここでは、レイカが看板の文字を読んでいるのは演出上明らかなので、「本で読んだんだろ」という台詞は完全に間違えている。
英語版の「文字通り」という台詞の方がユーモアも乗っており、実に巧みだ。
再開発の話は「湯谷地所開発」の看板もあるため意味は通るが、マルコムが子供たちを廃駅に連れて行ったりしている情報が日本語版では削られてしまった。
恐らく「審判の日に備えて、子供たちに地下へ避難するルートを教えていた」ということではないだろうか。爆弾に備えて作られた地下街の描写も、核シェルターのない日本でどのように人々が核の炎から生き延びるかを示唆するもののように思える。

第2話のまとめ

コネコを追ってきた子供たちが、地下街の奥に格納された大量の1nnoを発見し、ケンタが「天国だ」と言って、第2話は終わる。
ケンタはメカが好きなのか嫌いなのか本当に分からなくなる。

今回は現代のターミネーターとの戦闘も描かれ、ようやく『ターミネーター』らしくなってきたはずだが、戦闘も展開もスピーディーさに欠ける。連続シリーズにおいて謎をキープするのは大切だが、ここに至っては、それぞれの目的がハッキリしていないことが悪い方向に退屈とイライラを加速させているきらいがある。

マルコムはココロと会話して「何」を手に入れたいのか。
エイコはマルコムに「何」をさせたいのか。
ミサキは「何故」ココロを知っていて「何者」なのか。
レイカは「何故」キャットタウンに向かおうとしているのか。

キャラクターの視点はさまざまに描かれるが、それぞれの行動理由は曖昧でほとんど説明されることはなく、見ている者は納得できる理由がないまま、ただ付いていくことしかできない。
また、連続シリーズでキャラクターを引き立たせるのは、細かな所作や立ち振る舞いから見える性格や人間性だったりする。その点で、マルコムも子供たちもエイコもあまり魅力的な性格としては描かれていない。
ただし、ミサキのキャラクターだけは、行動原理が「(現時点で)家政婦としての務めを果たす」という点でブレがなく、良いポジションをキープできている。
3話以降は、これらキャラクターの魅力をどう引き立たせるべきか、という点にも注目していきたい。

リムライト

ところで、本作は“リムライト”の使い方に大きな特徴があることにも言及しておく。
リムライトとは、人物や対象の輪郭を強調するために使われる照明のことだ。
本作では、キャラクターの輪郭に青やピンクや紫系のライトが入り、キャラクターの芝居に不思議な雰囲気を与えている。色彩設計は、アニメ『ジョーカー・ゲーム』や『憂国のモリアーティ』シリーズなどの野田採芳子氏が担当した。

当初、何故こんな変わった色の当て方をするのだろうと疑問に思っていた。というのは、地下や車内などそれほど大きな光もない場所で、平然とキャラクターにやや派手な色が入ってくるからだ。
未来でのターミネーターとの戦いなどでは演出として理解していたが、現代のシーンでのリムライトには首を傾げるばかりだった。

しかし、マルコムとミサキの会話のシーンでなんとなく思ったことはある。
本作は日本が舞台だ。そして、登場人物のほとんどが日本人であり、黒髪である。レイカだけは明るい茶髪だが、他の人物は黒系統の髪色で、ミサキもエイコも日系の黒髪である。
そうなると、会話シーンでリムライトの色が入ると、それがアクセントになって雰囲気が変わるのだ。たとえ全員が黒髪でも、このリムライトによってそれぞれのキャラクターの表現を明確に区別できるようになっている。
近年の洋画でも、『デッドプール2』のユキオや『ベイマックス』のゴー・ゴーのように、日本人のキャラクターが特徴づけとして黒髪に差し色を入れていることはよくある。このリムライトもその発展形と言えるだろう。
また、これはライトであるがゆえに、その時々の状況でライトの色を変えることもできる。意外とこれは発明であるかもしれない。

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