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抵抗は、無意味だ。
読み指しの本ばかりがある。
ブラックウッド『秘書奇譚』。
ニーチェ『ツァラトゥストラ(上)』。
梅谷繫樹『捨聖・一遍上人』。
シモーヌ・ヴェイユ『工場日記』。
塩野七生『危機と克服 ローマ人の物語13』。
そして、
佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』である。
その合間に将棋の定跡本とか詰将棋とか挟むので、なかなか進まない。
そのうえ、年齢的なものか集中力が続かないので、逃げでYouTube配信などを見たりしてさらに遅くなる。
読まなくてはよまなくてはと思うのだが、なかなか続けて読むことができない。
時間をくぎって少しずついろんな本を手に取るという作法も学びはしたが、こんなんじゃ、ただただ目の前の食事を食べ散らかしてるだけなんじゃないか?
いや、ただの一本道(一冊の本)だったとしよう。
昔だったら気が付いたら夜だったみたいな読書がたしかにあった。
が、いまはどうだ。
大嫌いな(大嫌いって、おい!)マラソンと一緒で、ゴールが見えないランニングほどつらいものはない。
山登りに例えれば頂上までの距離感がまったくつかめないまま、足元の石ころやら木の根っこやらに、足ふらふらのまま斜面を登って、心臓はバクバクいっているような。
年齢は緩慢さをそなえさせ、
経験は真新しさを失わさせ、
その足を、
その目を、
その思考を堕落させよる!
もうボロボロだ。
だって!
いままでいつもこうやってしか読書してこなかったんだよぅ、とはいえである。
ここ数日、集中してその本一冊読み進めようとした。
多読療法をあきらめて、
どこへ行くときも持ち歩いて読もうとしたのである。
しかし、
明日、
というか、もう今日だが、法政大学のシンポジウムへ出かける。
その前までになんとしても『喜べ、幸いなる魂よ』を読了しておきたかったが、もう無理だ。
抵抗はした。
本当に申し訳ございません、佐藤亜紀様。
読了せずに、あなたのお話を拝聴しにまいります。
たどりつくまで、読み進めますが、流石に最後まで読めそうもない。
ああ、若かりし頃の集中力さえあれば。
いや、もう言うまい。
川本直さんにも会えるのか。
早めにいってご飯を食べて、しっかり内容をノートしよう。
とかいってたら、眠り損ねている、現在。
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