徳川セックス恐怖症(58日目)
・日記として書くならば、ひとの一日というものは箇条書きでしか、というよりは箇条書き的精神でしか書くことのできないものではないだろうか。
・ほんとうに一日を書こうとするならば、そのひとは結果的に小説を書くことになる。
・体は一日中途切れることなくそこにあって駆動している。心はちょいちょい途切れている。体が途切れたら死ぬけど心が途切れても全く死なない、というか途切れていない方がむしろ死に近づく気がする。
・精神にも自律神経のような作用で知らず知らずのうちに駆動している部分がある。例えばその絞りかすが夢だと思われる。
・世界は自分と関係のないもので溢れているけども、その関係というやつを判断しているのは精神の遠近法めいた働きで、遠くにある、と精神が判断したものは目の前にあっても見えない、というより自覚できない。ただ精神の自律神経はそれをある程度把握している。
・こんなことを考えているとピーター・ワッツ『ブラインドサイト』を思い出しますね。
・時間というのは精神における体のようなものだろうか。身体に対する空間、精神に対する時間。
・あいだをつなぐ助詞や接続詞が邪魔。
・わたしとあなたのあいだには接続する言葉が必要。つながりながら離れたいから。
・徳川セックス禁止令、というワードが頭に浮かんだが何だか忘れたのでググったら映画でした。面白そう。
・徳川セックス恐怖症。
・安永知澄『やさしいからだ』の最後のエピソードを思い出そう。やさしいからだというタイトルなのにからだがこわいという話。からだはあんまりやさしくない。
・なんでみんなそんなにセックス好きなの? あれそんなに楽しい?
・世界もままならないが自分もままならない。