見出し画像

以っていかんとなす―森直弘先生への手紙

以っていかんとなす―森直弘先生への手紙


封印された宝物


黒板には二つの円。一つは労働、もう一つは遊び。森先生は離れた二つの円の横に、重なりあう二つの円を白のチョークで書き加えてから、

「この二つの円を限りなく重ねていくことが、人間疎外という現代社会の病から自己回復につながっていく」と確か、そういう意味の話をされました。

 あれから16年。何度もくり返し思い出し、少しでもそこへ近づきたいと願ってきたつもりです。骨惜しみせず働き、働くことそのものに意味と愛情を感じたい。子供たちに、その姿の母として記憶されたい。その姿の妻として夫にみとめられたい。必要とされたい。
 時々はこれでいいんだって、喜びを覚えることも確かにあります。けれど、日常的に、実感すること、皮ふ感覚とでも呼べるようなリアルな感覚は、果てしのない残業、消えない疲労感とむなしさ。無力感。怠慢。言葉にしてしまうと救いようのない抑うつ症。

 どんなに夫が声を荒げて将来の展望や思想を展開してみせても、それをつかまえることができないのです。何かちがうって感じているのに抵抗できないのです。目の前の仕事を投げださずに、こなしていくことで精一杯・・・なさけない私です。
 でもだからこそ、先生にお会いしたい。先生のあの声に耳をすませて、いろいろな余計なものをとりさった、ものごとの本質について教えてほしいのです。

 あの、大学での基礎ゼミのように。

 金沢のお宅での一対一のレクチャーのように。

 16年前のあの合同ゼミナールの時のように。


 いつの間にか、森先生に関するノートや手紙、講義テープなどの資料の上に、いろいろなものが積み重なってしまいました。家族のアルバム、子供の絵、パソコンや旅行・仕事の備品、そういったもので押入れはすき間なくギッシリと詰まって、先生のものはまるで封印された宝物のようです。
 そしていつの間にか私の中でも、封印しなくてはかえって苦しい、存在になっているような気がしてなりません。

 労働と遊びのことでも、そうです。現実では私の二つの円は時がたつにつれ離れていき、しかも労働の方だけが肥大しています。理想は理想とわりきらなければ辛い。
 疎外されない人というのは、何か特別の才能を持っていたり、能力が際立って優れていたり、経済的なゆとりのある、ごく限られた人たちのことで、そういうものはない私には望めないことなんだ。
 そんなふうに思うことで、やっと一日が進んでいくのです。

 暮らしが成り立っていくため、子供を育てるため、この仕事で生き残るため、老後のため、すべて自分のためといいつつも、今、この時は自分本来の時間の流れを封印して、そうしてようやく今日の仕事が片づくのです。
 まさに、こなす、といった状況。

 森先生。

 けれど、そういう現実は確かにあるとしても、先生の存在は今も輝きをはなっていますし、私の中での基準点になっているのです。


合同ゼミナールのテーマは、「現代社会と時間」


 16年前のことにも戻しましょう。1987年3月28日、森ゼミの卒業生有志による合同ゼミナールが二泊三日の日程で催されました。
 先生は、退任されて、名誉教授になられていました。小さなゼミ室をかりて、学生時代の再現。この時の講義のテーマは、「現代社会と時間」。
 先生は体調が勝れないご様子でしたが、二時間半、休みなしで充実したお話をして下さいました。

 いくぶん低く押さえた感じの口調が、乗ってくると張りのある活気に満ちた声と表情になっていくのです。真っ白な美しい髪をサッとかきあげたり、窓ぎわにすっと立って外を眺めたり、懐中時計のふたをパチンと閉めて、鎖を指に巻きつけたりするしぐさ。
 黒板に書く文字のいきおい。入学して初めて“ああ、大学に来たんだな”と思わせてくれた先生の、知識、経験、哲学に畏怖と憧れを感じました。

 私は、といえば、1才2ヶ月になった長女をひざに乗せて、先生の声と表情をけんめいに追いかけていました。窓の外にはなつかしい塩田平と独鈷山。机の上にはこの日のために編集された記念文集「モラトリアム」

 その時のテープを、思いたってもう一度聴きなおしてみました。常に言葉を大切に扱う先生の、その発言を、私のうろ覚えの記憶でゆがめてはならない気がしたからです。封印された宝物の中に残る、貴重な先生の声・・・

 二つの円のあたりを、テープおこししてみました。少し前後を入れかえた部分もありますが、書き写してみます。
 この「テープおこし」という作業は、学生の頃には割りに平気で、たびたびしていましたが、久しぶりだったので、難しさとたのしさを両方味わうことができました。
 私の仕事は設計ですから、一日中机に向かって線や文字を書き続けているわけですが、それとは違う頭の使い方です。手はしびれボーっとなりましたが、なんというか・・・別の開放感、充実感が残りました。不思議ですね。


森直弘先生の講義記録 「現代社会と時間」より


――近代社会は労働と遊びをまっぷたつに割り、労働が上で遊びが下という構造を作りあげた。ポストモダンは二つを一つにくっつけて、そこにユートピアができないか。

 遊びが即労働になり 労働が即遊びになるという状況が、人間にとって最も好ましい状況。人間と機械とのはざまの所にこそユートピア。この場合の労働というのは決して時間の制約の元で行われないわけです。ぼくはこれをユートピアと言っていて、ついこの間、勉強してて気がついたんです。

 こういう形で(労働と遊びを)横に対等においたんでは、やっぱり制限があるんじゃないか。むしろこの二つを重ね合わせた所でしかないんじゃないか、というのがぼくの最近気がついたことの一つです。

大学でやっていた時は労働があり、遊びがあり、上下の問題じゃなしに横並びなんだ、という所まで。価値は上下の問題じゃない。
 理想から言うと「遊びが即労働になり、労働が即遊びになる」という世界がないものか。それは現在の所は明らかにユートピア、だけどその可能性はある。
 そこに住んでいる人は非常に幸せ、という気がするわけです。だからある芸術家たち、ある作家たちというのはそういう世界に遊んでいる幸せな人種である、と。
 ただ非常に難しいのは、労働は必ず集団的、組織的にやらなきゃならない仕事でしょ。個人の遊びは、一番大事なのはそのことを自己目的にした人間の行為ですからね、それが重なっていくことはなかなか難しい。

 こっち(労働)は時間の制限の元にある世界でしょ。こっち(遊び)は時間の制限のない世界でしょ。そういう相矛盾したものが一つになりうる場はどこにあるだろうか、というのが私の一つの課題。

 ポストモダンの問題は、“神様はお急ぎにならない”のだから、だから“神様のみこころにそうような社会”を人間はいかにして形成していくか。
 それを解明するカギは、時間というものを、見えない時間、心でしか見えない時間の存在を確認すること。それを評価することがなければ解決することはできないのではないか。

 こういう世界に入った時にきっと、言う所のアイデンティティーというものがですね、何か、見えてくるのではないか・・・そういうふうに思うのです。――

記念文集「モラトリアム」

 また、文集「モラトリアム」の中で先生は、こんな言葉を書いてくださいました。

「・・・(略)・・・本号の『モラトリアム』についていえば、書かれたことの巧みさは、問うべきでない。それは、自己の存在証明として、共苦の仲間の呼びかけあう声々としてある。それが、この文集の意味と、価値だ。
次号の発刊を誓いあいたい。」

書くということ


 今も、先生の独特な肉筆原稿を読み返すたび、先生の、私たちにむけられたまなざしの熱さと思いの深さを実感します。この、“次号の発刊”は、結局はかなうことがありませんでした。
 私自身が三人の子育てと、新しく始めた夫と二人三脚の事業ですっかり時間がなくなってしまったからでもありますが、いつかいつかは、と思っているうちに、先生がご病気で亡くなられてしまったからでした。
 残念です。本当に残念でなりませんでした。

 考えてみると、私は、いつも遅れて、やっとこすっとこその悔いをバネにして何事かをするような人間なのです。(先生には、もうすっかりお見通しでしょうけれど。)気づくのが遅くて、走り始めるのがさらに遅くて、走るのも遅い。全くトロ臭い。
 でも、その分しつこくて、ずっと長くためてためておいて、時々ドドドーっと噴火するのかも知れません。

 卒論を投げ出して、大学生活のしめくくりをきちんと自力でしてこなかったことが、はじめの「モラトリアム」づくりに形を変えました。

 引越して気づいた友情の深さが、子育て仲間の文集づくりにつながりました。

 子供と自分との小さな世界しか見えないあせりが、広沢里枝子さんの「アキとマサキのおはなしのアルバム」へと実りました。

 不思議です。そうして、中断してしまった「モラトリアム」は、仕事中心の暮らしの中で自分を見失いそうになっていた時に、「もらとりあむ」として生まれかわったのです。

 決意というものは、思考の総和であるよりは、むしろ感情の塊に近い、という言葉を、最近読んだ本、トマス・ハリスの『ハンニバル』の中にみつけたのですが、そうなのだろうなぁ、と思っています。

 この文集「もらとりあむ」に行き着いた瞬間のこと、今も鮮やかです。
 その気もちの高ぶり。その時、土手の上で雲がビュービュー流れていくのを、幼い二女と手をつないで見ていたのです。

私には書くという方法が残っているじゃないか。
私はそこに、私自身の価値を見出すことができるんじゃないか。
書きたい! 書こう! 
という決意がどんなに嬉しかったか。
その瞬間感じた先生との絆がどんなに嬉しかったか!

 先生はおぼえておられるでしょうか。

 学生の時提出したレポートに、ある日先生はただ一行、
「朝子君、以っていかんとなすか」
と書いて返して下さいました。辞書を引いたら、それについてどう思われるか、という問いかけの意味でした。
 “ものごとの本質をよく見て、答えは自分で探しなさい”ということなのかな、と思っています。私には一番苦手なことです。

 でも約束を交わしたいのです。静かに心の中で告げたいのです。
「書きながら、答えを探していきます、あきらめずに」と。

2003年/もらとりあむ13号・夏草掲載

#隠し部屋
#まなびや


いいなと思ったら応援しよう!