父の味・母の手触り
父の味・母の手触り
天袋から出したばかりのこたつぶとんは、陽に当ててもまだ少し湿っぽいにおいが残っていました。腰までつかってほっこりあたたまると、なぜだか急に、まるで天袋に片づけた日からずっと思い焦がれていたような激しさで「あぁ、けんちん汁が食べたい!」
里芋、やつがしら芋、ごぼう、にんじん、白菜、とうふ、こんにゃく・・・土の香りのする、あったかくて、ごっつくて、たっぷりのけんちん汁は、私には父の味であり、母の手触りを感じさせてくれるものなのです。
親元を初めて離れ、遠い信州で一人暮らしをしていた二十歳の頃、両親は度々米や野菜を送ってくれました。
初雪のある夜、重いみかん箱を開けると、大きなザクロがゴロゴロと出て、それから柿やらナスやら。里芋、さつまいものすきまにはインゲンや小豆が。一番下からは、穫れたばかりの新米が宝物のように姿を現しました。そしてその中に、包み紙を切ったような茶色の紙。父の字がありました。
「里芋を始めて掘ったから送ります。
ケンチン汁にでもして食べて下さい。」
たったこれだけの手紙、でも生まれて初めてもらった父からの手紙でした。誤字も、なぜか引いてある棒線も、一緒に芋を掘り、荷作りしてくれたにちがいない母の顔も、いっしょくたになってみるみるうちに涙で滲んでいきました。
ケンチン汁に限らず、父母とのつながりにはいつも、たべものがからみついていること、今さらながら驚いています。生産し、収穫し、そこで生活しそして、穫れたものを料理するのが、父母の仕事なのですから、あたりまえかも知れませんが。
家族を養うということを「食わせる」をいうけれど、とても実感できるのです。愛を食わせてもらいました。すねも申し訳ないほどかじりました。なにしろ私は乳をすごく飲む赤ん坊だったそうで、飲みすぎて吐いてもまた吸いついたので、とうとう母は乳を飲みほされて病気になってしまった、という話があるくらいですから。親はたいへんです。
母は変わりものをつくるのが好きで、農作業の合間に、ぼたもちやだんご、まんじゅう、手打ちうどん、赤飯などを食べきれない程こしらえては、近所におすそわけしたりしています。
時々電話をかけてきて、かなり大真面目に、
「ぼたもちつくったけど、今日は遊びに来られねんべかなぁ。
まったくまあ、すっぽりなげてやりてぇなぁ」
なんて言うし。
私も「行く!」といわずにはいられません。
春の草もちや暮れのもちつきともなれば、家族総出で主役は父。もち米の準備、機械のそなえつけ、かまどの火を加減し、もちをつき、まるめたり、のばしたり・・・。めんどうな作業の段取りは父の得意とするところです。
ワサワサと動きまわったあとで食べる、からみもちや草もちのおいしさは格別で、そして、神聖なものに思われるのです。思いをこめてつくったものだから仏様にお供えするし、おすそわけしたくなるのでしょう。
レストランでお子様ランチを食べた覚えも、家族で豪華にすきやきやしゃぶしゃぶを囲んだ記憶もないけれど、食べることにかかわる一つひとつが、家族を結ぶ絆になっていたことに改めて気付くのです。確かな手ごたえとして。
今、私は子どもに「父さんと母さんを見てなよ」と胸をはっていえないことがもどかしい。鏡の中に暗く重い自分をみてギョッとする時があります。考えが堂々めぐりして何をどこから始めたら良いものかと、へたりこむような時があります。
でも、父も母も、くたびれ果てたり、迷ったり、争ったりしながらくらしてきたのではなかったか。
自分にできることを精一杯やってみることが、何より大切なのであって、子はそういう親を見て勝手に育つのだろうから。
なかばやけっぱちでつぶやく今日この頃なのです。
1987年11月1日 「ひとりから 3号」掲載
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?