これから書くこと
どうしようもないことを考えてしまって、どうしようもないのだから特に何も変わらない。しかし、私の中では確かに進展があって、世界が色を変えることがしばしばある。思考を巡らせて、あれこれ物事を考えていたけれど、いざ記事としてわかるように、体系的に書こうとすると、何をやってるんだか自分でもよくわからない。
でも、ここで行われているのは、書くということに対しての自分のスタイルを探すためでもあるし、その先にあって、かつ自分の中にある何かを引きずり出したいという欲望のためのことである。ここで書くということで、自分に言い聞かせ、そして人に分かってもらいたいのであろう。
今のところできる、ざっくりとした言い方ではあるが、私がやっているのは、単に物事を社会的なステージで批判するものではなく、社会に対しても批判的に考えること、またその中で自分の中身を表現し、居場所を作ること、仲間を探すことであると思う。これらを行うために、自分はエネルギーを使ってきたし、使っていくのだろうと思う。まさしく自分の持つ性質として、どうしようもないものとして。
こういったことを、そのまま、書いていこうと思う。
いわゆる哲学と呼ばれるものではあると思うが、悉く主観的なこの営みを、誰かに伝わるように描いていきたいのだ。主観的だとわかっていながら、努めて客観的に描きたいのだ。それはまさしく、どうしようもないことを、どうにかしたいのだが、そもそもどうしようもないのだから、どうにもならないといったことと同じだ。
私が書くことには、常にこうした「どうしようもないだろう。でも。」というようなスタンスが透けて見えるように思う。自分でも言葉が口から勝手に出て、指が勝手に文字を打って、その度にやるせない。それでもなお、書こうと思う。
これは、これから書くことがそういった前提のもとにありますよ、という注意書きなのである。