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「モーレツからビューティフル」→「効率からビューティフルへ」

「モーレツからビューティフル」→「効率からビューティフルへ」

「効率からビューティフルへ」


1970年の大阪万博直後、富士ゼロックスが展開した「モーレツからビューティフルへ」という広告キャンペーンは、「ひたすら経済性を追求すること」に対する思い切ったアンチテーゼでした。当時は「モーレツ」に働くことが正義とされていましたが、そのメッセージは「効率ばかり求めて本当に満たされているのか?」という鋭い疑問を突きつけていたのです。  
そして、2025年の大阪万博を前に、私たちは再び「成長」を求める雰囲気を肌で感じています。だからこそ、この時代にあえて言いたいのです。「効率からビューティフルへ」と。

成長至上からの脱却

戦後日本が実現した経済成長は、規模拡大と効率性向上を原動力としました。そのスピード感は驚異的だったものの、いつしか「成長のための成長」が目的化し、働く人々に内在する一人ひとりの充実は捨て置かれがちでした。  
しかし、本来、人間が行う仕事は単なる「効率ゲーム」をバカ真面目に追求することではありません。そこには「なぜやるのか?」という内的な問いが必ず存在します。この問いに目を背けると、行為は空洞化し、美しさも喜びも失われてしまいます。

効率性の限界と美しさへの欲求

もちろん、効率を高めること自体は悪いことではありません。モーレツに働くことで得られる充実感や達成感もあります。しかし、効率はあくまで手段であり、働く人間にとっての最終ゴールではありません。  
「ビューティフル」を意識した生き方、働き方がなぜ必要になるのか? それは、私たちがただの「歯車」ではなく、自らの価値観、欲求、そして志を持つ存在だからです。大切なのは自分なりの美意識を宿した行為—つまり、行動に意味を見出し、その中に内的動機としての野心(ambition)や情熱を注ぎ込むことで、はじめて「一生懸命さ」は美しさへと昇華されます。

「美しさ」とは

「美しい働き方」とは、単なる真面目さやゆとりを意味しません。むしろ、自分の内的な動機や情熱、さらには野心をもって、全力を尽くす姿勢を指します。一生懸命さの中に自分ならではの「何を、なぜやるのか」という価値基準を通し、行為に独自の彩りを与えること。それがビューティフルです。  
ここで重要なのは、ambition(野心)の有無です。自分はどんな世界を実現したいのか、どんな成長を遂げたいのか、何を美しいと思うのか。その内なる声に耳を澄まし、願望を具体的な行為へとつなげましょう。目的を伴わない効率化では決して生み出せない美しさがそこに存在します。

2025年大阪万博:次の成長への指針

2025年の大阪万博が近づく今、日本社会は新たな局面に差し掛かっています。少子高齢化、グローバル競争、デジタル化の進展など課題は多岐にわたりますが、いずれも「量や効率だけ」を問い続けていては乗り越えられない壁でしょう。  
むしろ求められているのは、個人の質的な飛躍。そして、それには「美」という概念が欠かせません。何を美しいと感じるのか、何が人々の心を惹きつけるのか。その視点こそ、モーレツからビューティフル、効率からビューティフルへの転換点となる。企業や社会がまじめに成長を追求するだけではなく、志と情熱、美意識を内包した自分にとっての価値創出へと歩み出すために、私たちは野心を原動力に「何を目指し、何を美しいと思うのか」を見直す必要があります。

 効率からビューティフルへ、野心をたずさえて

「効率からビューティフルへ」というフレーズは、単なる言葉遊びではありません。私たちが新たな時代を歩むためのコンパスであり、生き方の指針です。美しさは、受動的な安らぎや緩やかさではなく、内なる声や野心と結びつき、働くこと、生きることをもっと愉快で意義深いものへと変える力を持っています。  

目指すべきは、成長や効率を手段として活用しながら、それを上回る価値観—自分なりの美しさや野心—を軸に据えること。そのとき、仕事はただのタスクから、自分らしい人生の表現へと姿を変えるでしょう。  

それこそが、今私たちに求められている「ビューティフル」なのではないでしょうか。


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森 浩昭 / Hiroaki MORI
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