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twitterで巡る思い出◎ほぼパレスチナの旅

140文字では語りきれない #ロロナで気が滅入るからみんなの写真で旅行しよう 解説していこう !!  #おうち旅行 !!

そう、この写真は2019年昨年のエルサレム。ダマスカスゲート。この飾り付けはラマダンのためのもの。ラマダンって断食ってイメージかもしれないけど、それだけではないの!みんなで集まっておご馳走を食べる。むしろそっちがメインじゃないかなーってくらい。

日本では11月くらいからどこもかしこもホリデーイルミネーションが飾り付けられるようにこの辺りもラマダンランプとか飾り付けが施されます。

この時は実はヤッファ門の近くに住んでいたけど、遠回りしてもダマスカス門の前を通りたくなったのです。


ここはインディアンホスピス。エルサレムの旧市街、ヘロデゲート入ってすぐ。ここは重厚な門があってそこを入るとこんな感じ。インドとエルサレムの関係性を知りたく、入ってみたいって思っていたところ。ここは私邸、プライベートプロパティ。どうしようかと思っていたら、私のライブ友達であるエルサレムの女子高生が、

あ、ここね。私の親友の家よ。一緒に遊びに行こうよ。

その一言で潜入成功!今でもインドからの人たちはここの宿泊施設に泊まれます。インド系アメリカ人でエルサレムで音楽を勉強している友人も聞いたらここに住んでいた!エルサレム狭い!!!

敷地内にはモスクもあるけど、ここ!図書室。貴重な資料がたくさんあるの!写真や書類を見るだけでパレスチナ、エルサレムの歴史が実感できる。ちなみに、ここに住む友達の親友はもちろん、インド系。

彼曰く

カレーよりもパスタやピザが好き!


ダマスカスゲート前の風物詩といえば、座って野菜とか香辛料を売っているおばちゃんたち。多くの人はラマッラーやヘブロン、ベツレヘムなど西岸地区から分離壁を超えてやってきている。朝摘みのお野菜や手作りのザータルやジャミード。スーパーより美味しく魅力的に感じるのは

Off the wall!!壁を超える。

の気持ちもあってなのかな。いや、手作りは絶対美味しい!願わくば

Break the separation walls!!


エルサレム旧市街のユダヤ地区にあるアラブ人のパン屋さん!これは本当に珍しいこと。そしてこのお店で作られるパンは旧市街の食堂などに配達されてる。私の大好きな食堂アラファトにも!

友人フサンの紹介でここのお店をお手伝いさせてもらえることになった。生地を丸めて粉打って伸ばし機に設置するという、見ているととっても簡単な作業工程。でもリズム・スピードかなり大変。しかもファミリー経営でみんなの息はぴったり。

早く!急いで!!

と指導を受けながらなんとかかんとか仕事をやり終えると、ギャラとしてパンをもらった。ザータルが大好きな私にフレッシュなオリーブオイルとザータルをたっぷり振ってオーブンにイン。労働の後の焼きたてザータルパン。至福♡

エルサレム旧市街にあるラミのお店。骨董品とかパレスチナの古いものを集めている。ラミは日本人の友達というか、現地駐在員たちをよく知っているので知りたくない現地日本人の噂話も否応無く入ってくる・・・。ここでも沈黙は金という言葉の重要性を実感する。

しかし、ラミは大好きな友達の一人でアラビア語を教えてくれたり、現地のローカル裏話や新しく出来た一見すると気づきにくい入植地を教えてくれたりと私の情報ホットスポットだ。

古新聞を見せてくれた。今なら絶対載らないであろう風刺画。周りのホステス風の女性たちは世界各国を示している。

ダマスカス門から出て左に行くと駅があるのだが、駅には行かずにバス停(ラマッラ行き)の方の角っこのところにゲストハウスがある。そこのオーナーが可愛がっている猫。私はこの街の話を聞くためにたまに一緒にお茶している。

オーナー曰く

エルサレムはホットスポットだ、自分の人生だ

エルサレムでお土産とか工芸品を買うならここをお勧めしたい!

Sunbula(近くのgallery cafeも好き!)

実は日本人が経営していて、とってもチャーミングな女性。お店のお庭で度々開催されるイベントに友人のIzzが出店した時に遊びに行った。アラブは猫が愛される。街中に猫がいる。最近、お金持ちは犬も飼っている。

sunbulaからほど近く、同じシェイクジャラーにある友達の家でよく遊ぶ。アーティストHaniの自宅。彼のママが飼っている猫はブルースリーから名前を拝借されブルースと言われているけど女の子。

暖かい日はHaniが整備した庭で日向ぼっこをしながらお茶を飲み、ブルースを撫でるというのも私たちの楽しみの1つ。

エルサレム旧市街の城壁の外側をお散歩した時、まさに時空の旅を感じる。iPhoneという文明の利器を片手に2000年前の事件やその前からある神殿の丘。

前に見えるのはマグダラのマリア協会。金色の玉ねぎ頭の教会、何か見覚えないですか?

そう、ロシア!!

何故ならば、ここの教会はロシア正教なのです。偶然か時の経過か、私が初めてこの教会に行った時はロシア語しか通じつ、過去の学びが活きたと思ったものですが、最近は英語でも会話をしてくれました。マグダラのマリアさん、私が好きな聖人です。

マグダラのマリア教会にも猫がいます。飼っているのは、勝手に住み着いているのか。毛並みから見る限り私よりいい生活をしているのは間違いないでしょう。

威風堂々とはこのことというくらい肝が座っている尊顔です。

ちなみに開園時間短いです。週に2回火曜日と木曜日10時から12時まで。行ける人にはオススメです。ベンチに座って向かいに見えるアクサや岩のドームを見ながらエルサレムにいるんだ!と実感するとなんだか涙が。あれ?エルサレム症候群かな。


エルサレム旧市街、ライオンゲートから出て少し歩きます。オリーブ山の麓にある万国民教会の横にある、ゲッセマネ。このオリーブ園がキリストさん最後の晩餐後に祈りを捧げて、ユダに裏切られて捕まった場所。
そんなドラマがこのオリーブ園にはあります。オリーブの木々の隙間からチラリと見える金色のマグダラのマリア教会。この裏手にあるんです。エルサレムならではの光景です。春(2月中旬)にはオリーブの木の枝の伐採があって切った枝がもらえます。

エルサレムの歴史スポットは何も旧市街だけではないのです。西側にカタモン・バカーというエリアがありますよ。アラブ建築はマムルーク朝時代を彷彿させるつくり。アンダルシアの影響も見えます。

そして1948年、イスラエル建国とともに追い出された人たち、入れ替わるように住み出した人。表札はヘブライ語だけど家の裏に回るとタイルに刻まれたアラビア語の文字。それはコーランの一節だったりする。

多くの街は破壊されなかったことになっている。この街はその美しさが身を守ったのかもしれない。

ラマッラーにあるSnowBarという夏場だけオープンする野外レストラン。オーナーはナブルス出身で息子はバーカウンターに立っている。
来年は私の誕生日会をここでって言ってくれてたけど、2020はどうなるだろうか?そろそろオープンの時期。真夏までにはプリーズステイホーム!

値段はちょっと高め。なので、お金持ちや外国人が多い。ローカルで好んで行く人は少ない気もするけど、ここでもばったり人と会う。

タイベ村にはブリューワリがあって(ワインも作っている)9月にはオクトーバーフェストを開催している。
クリスチャンの村で小さな教会があって可愛い。タイベのここには書けない裏話を聞いているので、知りたい人は #キャッチパレスチナ でぜひ質問してください。笑。
誰が読んでるかわからないから本当に言えない!!でも言いたい!

タイベにはラマッラのバス停から小さなバスに乗って行きます。この段々になったオリーブ畑は原風景に感じる。オリーブの木のモコってした感じが好きです。

世界で一番催涙弾が落ちた場所。ベツレヘムにあるアイダ難民キャンプ。
美容室は女の園。女子トーク、本音トークが炸裂する場所には生きる力と生きる知恵がある。そしてこの地の本当の姿が見える、はず。
そこで見えるものは・・・・世界は同じ。
ミクロで見るともちろん違うことも多い。ここの美容師さんは仕事している間にイスラエル兵が家に侵入していたらしく、強盗後みたいに家がひちゃかちゃに荒らされてたって写真を見せてくれた、でも笑ってた。その強さ。

もはや、第二の実家。第二の故郷、ベツレヘムにあるデヘイシェ難民キャンプ。このお庭に私も洗濯物を干し、庭を耕し、朝にはメラミーイェ(セージ)の葉を採ってお茶を淹れる。なんでもない日常は非日常の中にある。ここは難民キャンプ。イメージと違うという声。だってここは70年以上続く難民キャンプだから。70年も難民暮らし、故郷に戻れないって・・・・

それでもみんなは日常を作り出す。

ゴラン高原はユートピアだった、分離フェンスがなければ。ゴラン高原のマジダルシャムス村。占領地で元々はシリアだった。冬には雪が降って、スキー場もある。春は花が咲き乱れる。レバノンもシリアもヨルダンも見渡せる。(あ、だからかな)

ここに住む人はドゥルーズ派という宗教の人たち。りんごが美味しかった。りんごの生産高が抵抗の印だという人もいた。抵抗の方法は様々。私が書くのも抵抗の1つ。自由のために。

テルアビブのレビンスキーストリートにあるカフェレビンスキー。オーナーのベニーと仲良くなったきっかけは何だったかな?
確か、実家というかご両親は熱心なユダヤ教徒でもちろん彼もユダヤ人。リビア系とトルコ系のご両親。リビア系のおばあちゃんは聖書のヘブライ語しか喋れず孫であるベニーはアラビア語ができない。
これがイスラエルの建国の歴史だと実感した会話だった。
彼はアラブ系のイスラエル人の友達もいて、私に

イスラエルでジャーナリストとかアーティストビザ取りなよ、そしたらここでお金儲けして、その金持って西岸(パレスチナ)に遊びにいけるよ!

と言うくらい。本音かどうかはしらないけど。


4月9日はガッサーンカナファーニーのお誕生日でした。彼を思って、彼の欠片を探して出身地のアッカを旅したんだった。宿のオーナーに

アッカに滞在するには長いね。何するの?

と聞かれ

カナファーニーの足跡を追うのよ。

と言うと大拍手をされ

君は何者?

って聞かれたんだっけ。

私は何者でもなく、ただの旅人です。旅は続く。

最後に

自分の好きなパレスチナ、その土地・文化を知って欲しい、広まって欲しい、という気持ちでいつも基本的には無料公開にしています。
その気持ちは今も変わりありません。爆発的に読まれるジャンルではないことも知っています。パレスチナは紛争地だけではありません。そこに息づく文化や風土があります。あらゆる意味でここは世界の縮図と言えます。
この仕事をこれからも続けたい、私がやらないといけない仕事、私にしか出来ない仕事だと思っています。フィジカルなイベントが開催が出来ない今、私にとってインターネット上だけが情報発信元として動ける場所です。
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