全ては自分のため
パレスチナのために人権や自由について話しているわけじゃない。それを言っても理解されにくい。
わたしが初めてパレスチナに行った時、此処と関わって生きていきたいと思った。それはパレスチナを救いたいとかそんな高尚なものじゃなかった。ここと関わりたい、ここには全ての感情があって、全ての問題の縮図があるってわかった。だからここに関わるというのはここの人だけのことじゃなくて、自分のことでもあると思ったからだ。
後藤さん(福岡の弁護士さん)のfacebookの記事でとても共感するものがあったのでご紹介したい。
人権は、優しさや思いやりではなく、自由ってこと。ジャマをするなってこと。
「人権」=「自由」
自由が奪われている人がいる時に、声を上げること、闘うこと。
「この憲法が保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」(憲法12条)
憲法って聞くと難しく、素人にはわかりにくいと思うかもしれないけど、弁護士の後藤さんの言葉はとても分かりやすく理解できる、何より実感できる。
憲法は私たち素人のためにある、私たちは自由のために努力しないといけない。憲法は私たちを権力者から守ってくれるから知ってなきゃいけない。知らないと損するのは私たちだから。
そしてここに繋がる(思い出した)1月7日の福岡でのパレスチナの自由のためのデモでわたしはスピーチをした。一語一句思い出せるわけではないけど概要はこんな感じで、それはいつも思っていることだ。
「パレスチナだけのためのデモではない。これは私たちの自由が脅かされるから自分のためのデモでもあり、自分の自由のために声を上げるのだ。」
わたしはこんな風に思っている。
誰かの自由が脅かされることを黙認するということは、自分の自由を手放すことになる。
そして後藤さんの言葉に戻る。
「人権」=「自由」
自由が奪われている人がいる時に、声を上げること、闘うこと。
後藤さんの言葉の引用について、後藤さんに許可を得ました。