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安心感満載のパレスチナを旅する
前回は『危険なパレスチナを旅する』
タイトル真逆やん!って突っ込まれるかもしれないけど、パレスチナにいると安心するんです。なので書いてみようと思います。
パレスチナにいるある日本人(アラビア語堪能)との会話。
この前、バスでエルサレムからベツレヘムに行ったよ。バスの中ずっとアラビア語。安心するー、というか落ち着く!
わかるー。バスの中が静かってことないし、わたしとかしょっちゅう話しかけられる。なんかアラブ側のバスって安心するよねー。
私だけの感覚じゃなく、パレスチナって安心するんです(個人差あり)。
あれってなんだろう。前世?ある種の偏見?何かしらの成功体験?
<前世>
占いはしたことないけど、強いノスタルジーを感じるエルサレム。初めてパレスチナに向かった時のヨルダン川を越えジェリコを通りエルサレムに向かった時、あの光景は忘れられない。何度同じ道を通ってもぐっときて涙を堪える。そしてエルサレム、ダマスカスゲートの前に立った時、うおー!と声を出しそうになるくらい興奮のリミッターを超えた!忘れらない。
ジェリコってどこなのよ?ってエリコの戦いの場所です!聖書の。
でもわたしは仏教徒なので聖書への帰依は今んとこない。聖書って神話っぽいところもあるから、その現場があの場所なんだ!!!の感動は今もとってもあります。
<偏見>
ユダヤ系のイスラエル人とアラブ系のイスラエル人とパレスチナ人。ラッキーなことに友達いる!でもわたしの友達というかわたしと友達になってくれるくらいだからみんないい人で狂信的宗教者の人もいないからなー。偏見もあまり持ちようもないかもしれないけど、自分でも気づかない深層心理的なところがあるのかしら?国家としてイスラエルがやる入植地政策とかユダヤ選民主義的な国政には反対だけど。
ユダヤ系イスラエル人のお父さんはリビア系、お母さんはトルコ系で本人はイスラエル生まれ。わたしがパレスチナ贔屓でよく西岸地区に行ってることももちろん知っててそんなに好きならテルアビブに住んでアーティストビザ取ってイスラエル側で稼いでパレスチナ行ったらいいよ!とアドバイスをくれるほど。本気でビザ問題考えてくれていたし。国家と民意ってなんでギャップがあるのか、選挙だってあるのに!と思ってしまう。日本でもね!
それと日本でも福岡時間とか沖縄時間とか言われるように、個人的にはアラブ時間もあると思っている。その緩さ!ザ・ビジネス!!で行っているわけじゃないので緩さを楽しめる余裕がわたしにもある。
そしてこれは一種の差別からもしれないけど、髪の色や肌の色の近さ(近くない人もいるけど)からくる親近感や安心感。
<成功体験>
やっぱりこれかなー。成功というかようこそ感。中東文化でありイスラム文化である旅人へのおもてなし的なウェルカム感。
わたしの初めてのパレスチナホームステイは高齢でも活発なDyalaの自宅だった。彼女とはヨルダンとの国境からエルサレム行きのバスに乗った時に隣り合わせだった。その後何度かランチを共にし交流と信頼関係を築き、お宅へ招待されホームステイとなった。
街を歩いていたるところで声をかけられる。
アフラワサハラン!
ウェルカム、ようこそ!の意味。旅した国は30カ国くらい。こんなに歓迎を声に出して言われた国はパレスチナだけかもしれない。
多くの場所で、あれ食べて行け、これ飲んで行けとお菓子やお茶や夕食へのご招待とか声をかけられる。じゃあ、これ買います!とか言うとお代を受け取ってくれないことも少なくない。ゴリ押しで売ってくる人ももちろんいるけどね。
色々よくしてくれる人に私もお土産渡したりその人のお店や親戚筋のお店で買い物したりして現金収入の足しになりたいと思う。
それは日本でも同じ感覚。こうあるからここでお金を使いたい!いつも強く思う。
エルサレムのアラブバスのバス停でシュファット行きを待っていた時の話。
あんた、どこ行くの?ここはシュファット行きよ。ラマッラ行きはあっち。
普通観光客はラマッラ(首都的機能を有する大きめの都市)に行くことはあってもシュファット(分離壁・チェックポイントが近い難民キャンプがある地区)には行かない。
わたしシュファットに行くのよ、ありがとう。
あんた、シュファットに行くの?そう、じゃあここで大丈夫よ。パン食べる?
そう言ってたぶん家族のために買ったであろうパンをおすそ分けしてくれてた。ありがとうと言ってそれをむしゃむしゃ食べるわたし。横で別のおばちゃんにもおすそ分けするおばちゃん。
さあ、バス来たよ。ついて来なさい。
バスの運転手さんに料金を払う番が来たが
もうもらってるよ。座りなさい。
そう運転手さんに言われる。おばちゃんを見ると笑顔で手をかざして良いのよって言っている。
えー、おばちゃん、いいとー?
いいのよ、あなたはせっかくここに来たんだから見て発信してよ。ほら分離壁あるんでしょ。
そうやってこの街のことを説明してくれた。他のおばちゃんたちもあーだこーだ説明してくれる。とにかく見てよ、この壁!
バスを降りる時には
一人でやろー?気をつけんといかんよ。バッグも開けっ放しにしたらだめやけんね。電話もポッケやなくてちゃんとバッグに入れんとだめよ。
と脳内変換が博多弁になるほど心配と注意もしてくれる。わたしはいつもiPhoneを、だけでなく何でもポケットに入れる癖がある。
わたしはわたしで帰国後には約束を守っているつもり。色んなところでこの話をする。微力もいいところだけど。おばちゃんもわたしにそんな力がないことは承知なのでまあいいっか。
こういうことは成功体験というより人々との交流で生まれた信頼関係と既知の安心感だろう。
どの国にも一定数の悪い人(悪い人ってわたしにとって都合悪い人)がいて、その割合は同じくらいじゃないかと肌感覚で思っている。
*
まずはコレ!知っている安心感、知らない不安。旅したい国を調べて知って体験して確かめて、でもちゃんと注意もして。
そのバランス感覚は大事にしている。
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