字幕問題に思うもう1つの疑問点と最近の誤訳事例から──如何でショウ(NHKのこと)
NHKの字幕問題(※ここで言う字幕問題とは『河瀬直美が見つめた東京五輪』のことではない。詳細は下記)自体はもうすっかりタイムリーな話題ではないが、最近、NHKで誤訳を目の当たりにし、改めて思うところがあった。
NHKは4月中旬に、同月10日昼のニュース番組内で紹介したウクライナ人女性の発言に対応する日本語字幕について、伝わる内容を恣意的に改変する操作を行ったのではないかとの指摘を、ロシア・ウクライナ情勢の専門家である袴田茂樹氏から受けている(「NHKがウクライナ避難民インタビューで『字幕改変』か 大学教授が指摘」、週刊ポスト、2022年4月18日06:00)。
具体的には、番組中、画面の右に「ザポリージャから避難」と紹介されているウクライナ人女性の発言として、同画面の下に「今は大変だけど 平和になるように祈っている」との字幕が表示されたことに対し、袴田氏が「映像中の女性の言葉は、南方アクセントのロシア語とウクライナ語のミックスで、直訳すると『私たちの勝利を願います。勝利を。ウクライナに栄光あれ』と話しています」と指摘し、NHKによる恣意的な改変を疑ったものである。
指摘の内容そのものも大きな問題ではあるが、これに対するNHK広報局の以下のような回答にも疑問を感じる。
つまりNHKの取材スタッフは、ウクライナ関連の取材という、取材対象がウクライナ人となる可能性の強く想定される(いや、むしろ、それこそを目的とする)現場に、ウクライナ語やロシア語の通訳を伴うことなく赴き、たまたま「現場にいた、日本語が分かるウクライナの方」の「協力」にのみ頼り、さらに現場で通訳された内容をそのまま放送上の使用に供したということなのだろうか。NHKでは、公共に提供する放送材料をこのような方法で作ることがよしとされているのか。仮にそうだとして、客観的なチェックを入れることさえ前提ではないのだろうか。
週刊ポストの記事からは、問題とされる取材の詳細な状況を窺い知ることはできない。しかし、この取材は、突発的な出来事に遭遇して、咄嗟に手持ちの機材と人材だけで取材を行ったという種類のものではなく、取材先と目的を予め定め、必要な準備を整えた上で出向くという計画的なものではなかったのだろうか。
あるいはNHKには、記事中に含められなかったそれなりの言い分があるのかもしれず、親切に見れば、これを持って、チェック体制が皆無だったのではないかと断定的に批判することはできないかもしれない。しかし、通訳という作業を職業通訳者に依頼しないばかりか、たまたま「現場にいた」に過ぎない「日本語が分かるウクライナの方」という、今まさに他国から侵攻を受けている側の当事国の方に、放送素材の内容の責任を必然的に負わせる形になることに無自覚であるらしいこと自体がおかしくはないだろうか。仮に、取材当日、通訳の手配に不測の事態が生じて帯同が叶わず、その場での意思疎通のために止むを得ない格好で、「現場にいた、日本語が分かるウクライナの方」の「協力」を仰いだのだとしても、それをそのまま実際の放送上の字幕として使用するなど、普通は考えられないのではないか。
今回のNHKの字幕に対する態度は、専門家の指摘の通り、恣意的な改変だと言われても仕方がない。しかしそれ以前に、その通訳業務を担った人物というのは、例えば、取材対象者と直接関係する在日の親族の方であるとか、避難者受け入れサポートのために現場に居合わせた方であるなどといった、自らもが当事国の人間という立場であればこそ、取材対象となっている方の口にした強い表現を、恣意的に曲げる意図のないまま、自分なりに和らげたに過ぎないということだったのかもしれないとも考えられる。日常的な意思疎通においては逐語訳など意識されるはずがないし、その場の状況に合わせて円滑なやりとりができるよう言い回しに工夫が加えられることは想定されることであり、まして専門の通訳者でなく、自国の窮状を訴えるために善意から協力したに過ぎない立場であるからには、そうしたことは十分かつ当然にあり得ることであって、だからこそ、チェック体制が重要だという基本がまず忘れられてはならないのではないかと言いたくなる。
単に通訳と言っても、純粋にその場での意思疎通だけを目的とした通訳と、広く人々に情報を伝える報道を目的とした通訳とでは、本質的に全く違うものであるはずだ。この点で言えば、今回、通訳を依頼した側と依頼された側の間で事前にどこまで作業に対する理解の一致が図られ、確保されていたのだろうか(例えば、依頼した側は報道に使うものと考えているが、依頼された側はその場でのやり取りの補助程度に考えているなどの可能性はないか)。
さらに可能性としては、必ずしも通訳そのものが問題の原因であるばかりでなく、事後のチェック作業の怠慢や、字幕化の手法、文字数制限に起因するような場合も想定されるのではないか。
今回の字幕問題に対するNHK広報局の上記の回答が、実際の状況をどれほど正確に説明しているものかは知る由もないが、少なくともNHK広報局としてこれが正式な回答であるなら、それだけで、NHKの認識の甘さは指摘されて然るべきとの印象を持つ。しかし仮に、言葉少なにこうとしか答えられなかったのだと考えてみると、字幕の問題を含め、指摘された取材自体が、実際にその通りの不適切なものであったという証左なのかもしれない。
週刊ポストの記事だけを情報源として網羅的に理解できるわけではない。記事に含まれなかった事情や状況があるかもしれない。しかし事実として、取材対象者が口にしていない内容を公共に伝えるという、誤誘導との批判を免れない報道をNHKが行ったことは間違いない。
字幕問題について、目的ありきの意図的なものというより、原因はむしろ、事後チェックの不在あるいは怠慢にあるのではないかと考えたりもするが、これには理由がある。
1つには、番組中、問題の場面で日本語字幕とともに本人の話す音声が流されており、実際に袴田氏がそうしたように、両者を比較することが可能だったことである。意図的に異なる内容を伝えようとするのであれば、音声を消し、字幕と実際の発言内容との齟齬を隠す努力をするのではないか(過去に少なくとも民放の実例がある)。
もう1つの理由は、最近、NHKの番組で以下のような字幕上の誤訳を目にしたことである。6月14日放送の『国際報道』であるが、米ABCの『World News Tonight』からの抜粋の形で、昨2021年の米議事堂襲撃事件に関するニュースが紹介された際、トランプ氏の選対本部長の証言を説明する英語ナレーションに、以下のような字幕が充てられていた(改行は字幕ママ。2行めと3行めの間に画面切り替えあり)。
袴田氏ではないが、英語ナレーションをぼんやり聴き取りながら字幕を追っていると、内容が入ってこない。字幕自体が複雑な文章構造になっているせいもあるが、元の音声は端的に説明するナレーションであって、そもそも3行め冒頭のような主語を補足する工夫は不要なはずである。改めて音声を聴き直してみると、実際の内容は以下の通りであった。
直訳すると、以下のようになる。
字幕とは内容が異なることが分かる。証言内容の部分で、ナレーションでは主語が一貫しているのに対し、字幕では前半と後半で主語が変わる形になっている。すなわち、誰が誰から離れたかの理解が逆転しており、このため、3行めに無駄な補足「(シランプ氏は)」が必要になっている。ナレーションの英文は難しい構造というわけでもなく、音声も明瞭で、英語の分かる人間がこのような誤解をするとは思えないが、ご丁寧な3行めの主語の補足は誰が何を根拠に加えたものなのか。that節手前の文言の中から冒頭の「Trump's campaign manager」を、that節の中にまで誤って取り込んだ形なのか(機械翻訳か?)。
しかし、仮に訳者がこのような誤訳をしたのだとしても、英語の分かる第三者がチェック作業をしてさえいれば、これがそのまま字幕になることはない。特に上のような、内容的にも構文的にも容易に判別できる誤訳が容易にチェックを掻い潜るとは思えない。
なお、上の直訳をNHKの字幕の形に落とし込むと、だいたい以下のようになる。
NHKの字幕よりもすっきりと意味が取りやすい形であるし、実際にこのような内容なのである。訳出のチェックを行わないまま、意味が通りにくいと考えた誰かが独断で補足を入れたかのようにも思えるし、あるいは他の可能性があるにしろ、とにかく訳文のまともなチェックは行われていないのではないかと感じる。
報道は時間が物を言うのだから、煩雑な作業に悠長に時間を掛けている余裕がないことも理解できる。しかし、本来伝えるべき内容を誤った内容に変えて伝えるようであれば、本末転倒もいいところで、時間的な速さなどは問題にならない。チェックの過程を省くことは簡単だが、それは効率化というよりもただの怠慢に過ぎず、放送事業者としての責任を放棄することであって、基本的な何かが完全に抜け落ちているとしか思えない。
この後、数日分『国際報道』を観てみたが、訂正の説明は確認できなかったように思う。