ゼレンスキー大統領米議会演説のNHK和訳中の「民族」という訳語──如何でショウ(NHKのこと)
たしか5月に書き始めて、6月に追記して、7月に何を書くつもりだったのかがよく分からなくなり、とうとう諦めた8月の今日である。
ゼレンスキー大統領による米議会演説のNHK全文和訳における「民族」という訳語の伝わり方
3月中旬に行われたゼレンスキー大統領による米議会演説から2か月以上が過ぎた(※筆者注:これを書き始めた5月時点での話)。同演説は「真珠湾攻撃」に触れたことで日本の一部の人の反発を招いたが、それとは別に、NHKによる全文和訳があらぬ誤解を招いているらしいことを少し前に知った。
この演説は当然ながら、CNNを始め、アメリカのメディア各社が統一された英語訳を扱っており、個人的には英訳版で内容を確認していたため、NHKによる和訳には最近まで目を通していなかった。
問題になるのは以下のような部分であるらしい。
この部分の文脈から、「わが民族」とは「ウクライナ人」を意味するとし、多民族社会のウクライナにおいて、このような物言いは民族主義的だというのである。確かにそう読む気になれば、読めないこともない(のかもしれない)。「民族」という言葉が、特に注意を要する表現の1つであることは疑うまでもない。
検索した限りにおいて、ネット上に、日本語メディアによる同演説の全文和訳は他に確認できないように思う(個人の方による全文和訳は存在する)。つまり、NHKの和訳版が(個人訳を除いて)唯一、日本語で演説の全文を確認できる文書のようであり、この場合、他言語版を確認しない限り、NHKの訳出を検証するための比較対照素材はないことになる。
そもそも政治や戦争に関わる当事者の言動の訳出に求められる正確さの程度は高く、根拠のない意訳や誤解を招く言い回しは厳に避けなければならない。
「民族」とは何を意味するか
しかしまず、「民族」という語が何を意味するかを踏まえておく必要がある。
上に書いたような、ゼレンスキー大統領を民族主義的だとする人は、「民族」という語を恐らく「ethnic group」としてのみ理解しているのではないか。ともすると、「民族(ethnicity)」と「人種(race)」の意味をさえ混同している可能性はないだろうか。
専門的にも、「民族」という言葉の理解については注意を要し、例えば、IDE-JETROのサイトに掲載されている津田みわ氏による記事「民族 Ethnic Group/Tribe/Nation──身近で、実はあいまいなもの」では問題が簡単に説明されている。そこから、関連すると思われる一部を少し長くなるが、以下に引用する。
NHKによる全文和訳中の訳語「民族」の妥当性──他言語版との比較
冒頭に挙げた米議会演説のNHK全文和訳中の問題箇所「民族」について、日本語以外の各言語版、具体的には、英語、ウクライナ語、ロシア語の各版でどう対応されているかを確認したい。
なお、筆者はウクライナ語、ロシア語のいずれの知識も持たないため、以下に記載する問題箇所の各単語の意味は、ざっと調べて探り当てた一般的な訳と考えられるものである。もしも誤りがあれば、ご指摘をお願いしたい。※以下、引用中の太字はいずれも筆者による。
英語(アメリカ)版での表現
まず、アメリカのメディアではどのように英訳されているだろうか。注釈付きで詳しいCNNの記事から問題箇所の前後文を含めて以下に抜粋し、拙訳を併記する。
また、ウクライナ大統領府サイトにも英語訳が掲載されており、当該箇所を以下に抜粋する。表現にわずかな異同が確認できるものの、大意に変わりはない。
NHKの和訳版で「わが民族」とされている部分について、上の両英語版では全く同じ訳語「our people」が充てられている。この英語を和訳するとしたら、上で使った「我が国民」のほか、「国民」、「我が国の人々」、「我が国の市民」くらいが妥当と思われる。ただし、「people」という単語を「民族」という日本語に訳出することが絶対に不可能だというわけではない。とはいえ、この演説の文脈から(部分的にも、全体を通読してみても)、民族主義的な意味での特定の民族を指そうとする意図のある表現ではないと判断できる。大統領の立場から、国民としてのウクライナの人々を言っている表現である。
ウクライナ語版での表現
実際の演説において、大統領が当該部分を話す際に使っていた言語はウクライナ語である。ウクライナ語版ではどのような表現になっていたのか。ウクライナ大統領府サイトには英語版以外にも、ウクライナ語版、ロシア語版が併せて掲載されている。
上に挙げた英語版のパラグラフに対応するウクライナ語版の部分は以下の通りであり、太字部分は英語版の太字に対応する。
太字部分の語の意味を調べると、「Доля」は「運命」、「нашого」は「私たちの」、「народу」は「人」をそれぞれ意味するようである。
NHKの和訳で「民族」と訳された3語め「народу」は、ゼレンスキー大統領が役者だった時代に主演したドラマ『国民の僕』の原題『Слуга народу』にも使われている語であり、ドラマの日本語タイトルとしては訳語「国民」が充てられている。「народу」(「ナロードゥ」)は単数生格であり、この語の主格は「народ」(「ナロード」)であるが、これはロシアの歴史を学ぶ際に教えられた、「人民」や「民衆」を意味する「ナロード」と同じ語である。ただ、以下との比較でも分かるように、ウクライナ語とロシア語とでは語形変化が異なるようである。
ロシア語版での表現
ロシア語版では以下の通り。太字はウクライナ語版同様、英語版の太字部分に対応する。
太字部分の語の意味は順に、「Судьба」が「運命」、「нашего」が「私たちの」、「народа」が「人」である。
「народа」(「ナローダ」)は単数生格である。「人々」、「大衆」、「国民」といった意味の場合は全体をひとまとまりと捉えて単数形のこの形を用い、「民族」を意図したい場合は1つの民族ごとのまとまりと考えるため、複数形を用いるということらしい(1つの民族をいう場合は単数形)。この辺の感覚は英語と同じようなものかと思う。
結論らしきもの
上の段落まで書いたところでしばらく放置していた。当初に書こうとしていた流れはすっかり見失い、途方に暮れるが、取り敢えず現時点でのざっくりとした印象でまとめておきたい(ウクライナ 語やロシア語を色々調べてみたことでもあるし)。
要するに、英語版を中心に、ウクライナ語版、ロシア語版それぞれの該当箇所を比較してみた時、いずれも余計な解釈や専門的な意味付けが生まれる余地のない端的で平易な表現になっている。単なる「our people」である。
これは素直に「国民」と訳せばいいだけの語のように思う。民族自決のことが念頭にあるとしても、「nation」ではなく、「our people」とされている部分を敢えて「民族」と訳すことは無用の誤解を招きかねず、特に最初にも書いたように多民族社会であるウクライナに関しては尚更と言えるのではないか。正確で分かりやすい情報伝達を心掛けるべきメディアにあっては、余計な節回しで歌うようなことをする必要はない。