ライトノベルは劣ってる
ライトノベルは一般文芸よりも遥かに劣っている。ライトノベルはコミックの劣化コンテンツである。ライトノベルは思考停止と感性の欠如がもたらした成れの果てである。
なのでもうちょっと安くしてくれませんか。ライトノベルのレーベルさん。ライトノベルは所詮漫画原作としての価値しかなく、何のカタルシスも得られない俗物なのだから、もうちょっとだけ安くなりませんか。1冊税込737円。これは妥当な額なのか。もう考え過ぎて妥当って何なのかも分からなくなってきた。作者も頑張っている。それは分かっている。頑張っているならその分の対価が必要だ。そしてそれを売れる形に整え、実際に店に出している人達にも金は必要だ。そういった諸々の結果、税込737円。分かっている。俺にその値段を否定する権利はない。しかし、税込737円。異議ぐらい申し上げさせてくれ。
とある魔術の禁書目録。現在、全部で48巻。番外編も含めるともうちょっと増える。買えない。俺の金では。なぜだ。なぜ売っている。じゃあなぜ売っている。買えないのに。買いたい人間がここにいる。俺だ。俺はここにいる。作者にもレーベルにも金を入れようとしている消費者がここにいる。でも買えない。あなた方にお金を入れられない。金がないからだ。そして本を買うには金が必要だ。俺は自分の好きなライトノベルも買う事ができない。
働いて得られる金には限度がある。そして、その金の中から色んなものがしょっぴかれる。税金にしてもそうだが、家賃もある。生活費、食費、色々ある。自由に使えるお金なんて溜まらない。そんな中、俺の目の前に現れた、とある魔術の禁書目録、全48巻。馬鹿も休み休み言ってくれ。せめて土日くらいは休ませてくれ。
ソードアート・オンラインを見てみよう。本編26巻。勘弁してくれ。番外編も含めると30巻を超えるらしい。お前もか。
俺は物語には目がないので、おそらく1巻を読めば2巻も読みたくて読みたくて仕方がなくなる。2巻を読めば3巻が読みたくて仕方がなくなり、読めない状況がストレスにさえなってくる。このストレスは大きい。仕事ですらストレスが溜まるのに、それ以外のストレスまで加わったら人の何倍も壊れやすくなってしまう。だから何かを読む場合、かなりまとめて買うのが基本となる。
だというのに、どうだ。とある魔術の禁書目録。そしてソードアート・オンライン。それだけか? それだけじゃない。Re:ゼロから始める異世界生活、お前はどうだ。本編27巻。どうしてだ。お前だけは裏切らないと思っていたのに。番外まで含めると40巻ほどにも及ぶらしい。どういう事だナツキ・スバル。お前だって苦しんでいるはずなのに、他でもなくそんなお前が他人を苦しめるのか。
リゼロは2期までアニメを見たので、それで代用するとしても、2期以降の内容がすでに10巻以上も出ている。これは大きな数字だ。小さい事は気にしない俺でも、ここまで大きいと気にせざるを得ない。ワカチコも泣いている。さめざめと。粛々と。声を潜めて泣いている。頼む。お願いだからもうやめてくれ。
どうしたんだ。ライトノベルは一般文芸よりも劣っているんじゃないのか。コミックの劣化版じゃなかったのか。じゃあなぜ俺はライトノベルを買えないんだ。おそらくそれは俺の実力不足であり、俺の収入が低いからに他ならない。それ以外の理由はない。俺が頑張らなければいけない話だ。でもなぜだ。求めているのに手に入らないのはなぜだ。
売ってる側は、「買って欲しい」という思いで書店やWeb上に並べているはずだ。創作物だろうが結局は商売だ。金が入らない事には意味が無い。だが欲しい人間の手に渡らない。俺は欲しい。だが買えない。まとめて読まなければ莫大なストレスになるからだ。
リゼロはまだいい。Web小説投稿サイト【小説家になろう】に、未だに無料で公開されているらしい。ありがたい事だ。作者とレーベルには非常に申し訳ないが、俺はWeb版を読ませていただく。でも禁書とSAOはどうしたらいい。読みたい。買いたい。が、読めない。買えない。変に数冊だけ買ったら逆にストレスになる事が目に見えているからだ。
「続きが出ない」のはストレスにはならない。なぜならそれは「仕方のない事だから」だ。物語の続きが、誰の手にも入らない状態にあるのだから諦めがつく。そんなものにいちいちストレスなど感じない。だが「すでに売っているのに買えない」のはストレスだ。結局ストレスなのだ。何をしてもこのストレスからは解放されない。
俺はなんだ。どうすればいい。劣化物であるライトノベルすら買って読む事ができないのか。何のための物語だ。何のための創作物だ。現実とはちょっと違う世界を楽しみたいから俺達は物語を読むのだ。誰かの創作世界を楽しむのだ。俺みたいな社会の底辺にこそ、現実に苦しみ沈んでいる人間にこそ必要な娯楽だ。なのにそれを楽しめるのは金を持つ者だけか。一番救いが必要なはずの層に、一番救いが訪れないシステムなのか。どういう事だ。どういう事なんだ。何が起きているんだ。何をどう理解すればいいんだ。
ライトノベルがあらゆる物の劣化版であるとするなら、俺はじゃあ漫画も一般文芸も手に取れないじゃないか。事実、買えていない。今さら一般文芸など読めない。脳天をぶっ飛ばすくらいのファンタジーでなければ、もう俺の物語意欲は満たせない。角川文庫も新潮文庫も読んだ。家出した少年が家族との絆を取り戻す物語、大自然に囲まれた中で人と自然の付き合い方を描いた物語、売れない芸人がそれでも必死にもがいて一筋の何かを掴む物語、色々読んだ。でもダメだ。今それらを読んでも、もう俺の心は何も満たされないのだ。何一つカタルシスを得られない。スッキリしない。パッとしないしハッキリしない。呪文を唱え、大爆発と共に都市一つを丸ごと吹き飛ばして敵陣を木端微塵にする物語でしか楽しめない。じゃあ漫画でいいかと言えばそうでもなく、漫画では描き切れないキャラの心情をより深くより鮮明に感じたいから文字のみの媒体を摂取したいのだ。結果的にライトノベルに行き着く。ライトノベルを買いたい。読みたい。でも買えない。続き過ぎている。値段が高すぎる。そして俺の収入が低すぎる。自分のせいじゃないか。
というかそれを言ったら漫画だって割と続き過ぎている。面白い作品は結構続いている。最近では鬼滅の刃が23巻で最終回を迎え、「かなりスパッと終わったなぁ」という感想をよく見かけるが……しかし冷静に考えてみて欲しい。ワンピース、ナルト、BLEACH等でみんな基準が狂っているかもしれないが、23冊も書物を買うというのはなかなか大きな金がいる。というか普通に多い。本が23冊もあると考えてみろ。多いだろ。普通に。余裕で。
苦しんでいる人間にこそ娯楽は必要なのに、より苦しんでいる層の人間は娯楽を掴む事すらできないのだ。なんのための漫画だ。なんのための一般文芸だ。なんのためのライトノベルだ。これじゃあ全部同じじゃないか。漫画も一般文芸もライトノベルも、全部なんにも変わらないじゃないか。人の手や目に届いて初めて真価を発揮するのが創作物なのに、そもそも人の手にも目にも届かないのでは、劣化もクソもない。全部等しく無価値じゃないか。
何が「劣っている」だ。何が劣化版だ。全部、俺からしてみればゼロに等しいじゃないか。なぜなら消費できないからだ。買えないからだ。読めないからだ。手に取れないからだ。目に映せないからだ。取り込めないからだ。私物化できないからだ。吸収できないからだ。全部無価値だ。誰かにとっては大きな価値をもつかもしれないが、その価値を味わいたくて味わいたくて仕方のない俺には、無価値に感じてしまうのだ。もうどうしたらいいんだ。教えてくれ、縁壱。俺はどうすればよかった。俺はお前になりたかったのだ。
ライトノベルが何の劣化だろうが関係なく、結局俺が社会の底辺である以上は全てが無価値だ。底辺である以上、何も手に取れないからだ。そして手に取れなければ自分にとっては価値がない。ゼロだ。ゼロから始める異世界生活だ。しかし俺がいるのは現実だ。始められない、ゼロから。教えてくれ、レム。俺はどうすればよかった。
俺ですら、こうだ。俺より下の人間なんてまだたくさんいる。彼らにこそ娯楽が必要だ。なのに、その娯楽は彼らの手に渡る事はない。何のための漫画だ、何のための一般文芸だ、何のためのライトノベルだ。
地獄の沙汰も金次第らしい。しかし地獄に落ちる以前に、そもそも金を持っていない人間にとっては現実こそが地獄そのものだ。娯楽を得られず、望んで望んで望み尽くしても望んだ物を得られず、現実の苦しみしか味わえないというのなら、やっぱりここは地獄だ。いま俺が生きているこここそが地獄だ。地獄の沙汰も金次第ではない。金次第で、全てが地獄になるのだ。
その地獄の中で、ちょっとでも心を安らかにできる休憩時間が娯楽なのだ。
休憩が無ければ人は生きていけない。人間は不眠不休で働けない。
金が無い人間は、死ぬしかない。
死ぬしかない人間にとって、全てが無価値だ。
何が「ライトノベルは劣化してる云々」だ。
劣化してるかどうかを判断できる人間は、それを判断できる時点でもう自分は恵まれた側なのだと自覚しながら生きていけ。そして恵まれたまま死ねばいい。その有り余った金を使って、少しでも優しい地獄に行ければいいな。
って友達が言ってました。
俺は普通に禁書とリゼロ全巻買いました。
金があるってサイコー!