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【連載小説】地獄の桜 第二十六話

 そうやって暫く過ごした。気まぐれに飲んではどこかに出かけていくさくらを見ながらも僕は引きこもって金を増やし続けた。
 それは放縦と言えば放縦だったが、とある目標の下での行為でもあった。
 大学時代に不摂生がたたって入院し、まともな就職からあぶれてフリーターをしていた僕は、いつしか両親にもはやこれまでと見限られ、突き放されていた。しかしそれは僕にとってのむしろ僥倖だった。今やもう僕の勝手を遮るものはない、ただようやっと会社員になってからの日々のつまらなさと、こんな風にしか働かせてもらえない自分の身の上と、そんな環境を作り出した今の日本の狭苦しさに対する倦怠とがあったというだけだ。
 そしてそのうち僕はどこか海外で暮らそうと思い始め、そこですぐに住むならフィリピンだと思った。
 物価は安いしビザも取りやすい。それにいつまでもさくらとバカンス気分で生活を送れそうな場所だと思った。そういった直感があった。
「そろそろ海外に行こう」
 ぽつりと僕は言った。丁度クリスマスイブだった。かねてから準備していたクリスマスプレゼントをあげようといった気持だった。
「海外……? に、行ける程有休が取れたの?」
「いや、そんなものは……違う違う、海外に移住するんだよ!」
「えっ、移住……? 転勤でもあるの?」
「いや違うけど……り、リモートだから大丈夫だよ。移住先はフィリピン。資金はもう用意できるし、後は僕とさくらのビザを取るだけだよ」
「えーっ……でも私英語とか全然しゃべれないし、お友達とも会えなくなっちゃいそうだし……。
 それより私、実は私もずっと江並君にしてほしかったことがあるの!」
 もしかしてこれは……結婚か? 僕は固唾をのんで次の言葉を待った。
「五百万円貸して欲しいの!」
「五百万……?」
「うん、うちの店が店内を全部改装するんだって。でも費用が足りなくて、追加でそれくらい必要なんだよなって、店長が言ってたから……」
「五百万か……」
 その頃には部屋の中もすっかりさくら姫の寝室といった感じに様変わりしていた。
 特に薄赤色のロココ調といった感じの化粧鏡なんかがそういった印象を持たせていたが、その下の化粧棚には数多の化粧品やジュエリーが詰まっていて、さらにその脇にはたくさんのぬいぐるみを陳列する棚なども置かれていて、そしてそういった全てはさくらがたまに僕に無心した金で買ったものであるかもしれないし、あるいは僕が一緒にさくらとショッピングした時のプレゼントであるかも知れなかった。
 それに加えて、五百万、さすがにそれは、ちょっと痛かった。そこまで出費があると海外移住の夢は捨てざるを得ないだろう。
 でも、まあいい。いつの間にか、そう思っていた。さくらのためだったら、それもまあ、いい。さくらのおかげで今までの汚辱のような人生の苦しみが洗い流されたように僕は感じていた。これが恩返しというやつか。僕は心を決めた。
「五百万だね、いいよ、あげるから」
「……本当!?」
「フィリピンの方は、諦めたから……」
「ありがとう!」
 さくらは僕を抱きしめて、「最近お店が経営難で、これが最後の一手なんだって。よかった、本当によかった!」と繰り返し笑っていた。
「そんなこと忘れよう……それよりその、ワイン? 僕にも味見させてよ」

 しかし、さくらの銀行口座へ、五百万円の送金を終えた数日後、さくらは忽然と僕の目の前から、姿を消した。

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