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【連載小説】地獄の桜 第三十話
しかし何と言えばいいのか、この心持は、色々なものがわだかまっているようでもあり、それが過ぎ去ったようでもある。僕は不幸者というより、『不孝』者なのかもしれない。
シェアハウスに住むことを快諾した帰り道、ふいに列車に乗っている時のイメージが僕の心を捉えた。あれは物事の移り変わりを否応なく見せられる装置のようだ。
東洋の無常。結局、僕の心は無常の間を行ったり来たりしているだけなのかもしれない。
こんなに西洋の文物が広まっても、僕たちが日本語を捨てることが出来ないように。酒がワインでも日本酒でも、それを片手に喋る言葉は一緒なのだ。
それは僕の孤独とも似通っていた。自分の思考でカラを作り、そこから出ることが出来ず、そしてその思考は日本語でできている。
言葉に頼り過ぎてはいけない。しかしそれはとても難しい。日本語であればなおさら。外国人は「日本語ムズカシイ」と言うが、そうではなく、彼らが欧米言語的思考の中に自身の楔を打ってしまっているのだろう。
それに対して、日本語は自由過ぎ、僕らは自由の刑に処せられている。
まあそれはともかく、話を戻すか。話と言うのが……そうだ、思い出した無常だ。無常を感じた。時の流れ。確か一度、『僕の故郷はハリボテの街』みたいなことを書いたか。
しかし言うほどには、実は僕はハリボテ感を持っていたわけではなかった、というよりそのことに、気づかされた。
例の一人暮らしをしていたアパートの地でもなく、新しく住んでいるシェアハウスでもなく、僕が生まれ落ちたというかの『故郷』とやらに久方ぶりに足を運ぶと、昔のようなこじんまりとしたシックさは、その街からは一切消え失せていた。人も建物も。
代わりに歩道にはどこの馬の骨かも分からぬ有象無象が隅々までひしめき合い、皆狭隘さに押し込められた余裕のなさを、うわべだけは何とも幸福そうな作り笑顔の見栄を張りつけながら、さも『これが今の若者の当たり前のライフ・スタイルなんですよ』とでも言わんばかりに、平然と歩いている。
それがこの街に巨大なランドマークタワーができた代償だった。僕はその喧騒にほとほと困り果てて、歩道橋を登った。登ると、街路樹の香りがほんの少しかつての街の装いを醸し出した気がした。これではどんな店だって予約なしでは入れないだろう。まさにこの僕だって、とあるセラピストの施術の予約を入れてここに来ているという始末なのだから。
え? 例の個展はどうしたって? じゃあ、あの男にスカウトされてから、僕がこの故郷の地に足を踏み入れるまでの約三年間の話を今からしよう。それで個展の件がどうなったかも分かる。