【連載小説】地獄の桜 第十話
僕が週末の夜の街というものにこんなにも惹かれてしまうのは、何もかもが白日の下にさらされているような平日の自分に嫌気がさしているからだろう。全てが数字で可視化され、二人きりの事務所の窓からは夏場の強い日差しが容赦なく差し込み、既に過労でぐったりとした僕の体にとどめを刺して強い頭痛なんかを引き起こしたりする。
それに比べ、土曜の夜の街のこの光景ときたら、全てが混沌の中で境界を失くしていながら、実に各々がさりげなくその内に宿る性質をひけらかしている。
男と女、警官と犯罪、光と影、受動性と能動性……いや、もはや言葉すらも必要がないのかも知れない。裏路地に潜む、少年のような面影の残った青年の股間に顔を寄せる女の様子は、幻惑のようなピンクのネオンライトの看板の影に隠れていてよく見えないので……と言うよりその女だって本当は性同一性障害で戸籍上の男性かも知れないし、あるいは女性であっても日本人という先入観は僕の勝手な思い込みで、実は中国人かも知れないし、そもそもあの二人は恋人同士ではなく、アダルトビデオの撮影なのかも知れない。
それはともかく、そんな光景が当たり前にあり、またそのように存在していて、またそれを何事もないように通り過ぎる時、僕は平日の自分をすっかり忘れ去ることができ、そしてそれは僕がこの街に足を運ぶ理由であることは、疑いようのないことだった。
僕はいよいよ待ちかねていた店に入っていった。こういった店というものは不思議なもので、世間で認められるために苦心して身につけた細かいことが、ここでは一切通用しない。
しかしそれは僕にとって却って楽なことだった。僕にとってそんなことは全くもって忘れたいことだったのだから。店の女の子たちだけは僕に対して優しくしてくれる唯一の人間たちだった。
僕は受付で本指名の源氏名を告げる。それはいつも一緒で「さくら」といった。
店内は広く、豪華で、生活の湿っぽく暗い影はどこにも差していない。夜の遊びに興じていると、僕は不思議と心の中に闇よりも光を感じる。店の子たちは何の屈託もなさそうな元気な笑顔を皆僕に振りまいてくれる。店を知ったばかりの頃などは、僕が酒に泥酔するとキスまでしてくれる嬢もいたものだったが、今となっては、それは色々な意味でタブーになりつつある。
さくらを除いて。
皆全て分かっていたのだ。またそれ位僕のことがあれこれとこの店中に知れ渡ってしまっていたとも言える。
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