【連載小説】地獄の桜 第一話
僕はその、自分の部屋に不釣り合いな地球儀を、くるり、と一周回してみた。すると空虚な音が、僕が独り言をした時と、丁度同じような調子でもって、息を吐くような間隔を空けながら、カラッ、カラッ、カラッ、といった。
実際、モノは口よりも冗長なもので、そんな風にこの音を聞いていると、世界というのは一人の人間の頭の中の夢のようなものだ、という話を、どこかで聞いたことがあったが、まあそんなものか、という感慨のようなものまで起こる始末で、しかしそんなSFチックな感情が、こんなアナログな行動で呼び出されるのも、妙な話だ。
そんな、思いあがった考えが心に浮かぶのも、何のことはない、結局はただ狭いこの借り部屋の中で、このような意味のない一人遊びを、誰に見せるでもなく演じているからで、却ってそれは一層、虚しい印象を僕に持たせるだけだった。
それで僕は、そのうちに、無意味だ、とすぐに思い直した。自分の頭の中が世界の全て、だと思い込む者もいれば、自分の肉体こそが世界の中心だ、と思い込む者もいて、それは、世界の真理を自分の一部に見出して勘違いをしているだけで、実際は、人の数ほど世界があるのではなく、むしろ人の数を集めたところで、世界の広さには届かない、ということなんだろう?
だから無駄だというのに……なんて思いながら僕は地球儀を机に置き、そしてこれまた机上にある、ノートパソコンを起動させていた。本当は無駄なことに過ぎないのに、もっと長いものを世の人々はご所望で、いわゆる詩のようなものを書くと、逆に「小説を書く予定はありますか」などと聞かれる始末で。
僕がむしろ、大袈裟に考えすぎなのだろうか。僕は、小説は人生の比喩だ、と考えがちなのだが、それはやっぱり、大袈裟に考えすぎているのだろうか。
ほとんどの人間は、作者の人生と作品の関係など、何の興味もない、ということか。確かにそれは鋭い意見だ、実際、『作者』になんて会ってみない方が良いものだ、と当の本人が保証できる位のもので、自分でもそう思うのだから、本当に会った人は、さぞかしひどく幻滅するだろう、だったら最初から最後まで、作品だけ見ていて欲しい、作品すら日常のしがらみの影が差しているとはいえ、それ以上醜悪なものを見せつけるつもりはない。作品で見て欲しい、というのが作家の性だ。しかしそこで疑念が湧く。
というのは、僕の作品は自分の人生と地続きになってしまっていて、詰まるところ作品も、醜悪そのものなんじゃないか、ということだ。物好きがいるものだ、少なからず僕の作品のようなものでも、ネットでは評価する人間の五~十人位はいるようだ。
じゃあ、このまま行かなければならないか。結論は、あえて言わないでおこう。僕は自由が欲しいと最近考えるようになった。作品を作るのも、そのための行為かも知れない。僕はただ、そんな話ばかりしていると、難しくて頭が眠い。サワー系の缶を一つ空けただけなのに、自分の思考に泥酔してしまって、もうとにかく、布団の上で横になる、これに限る。バタンッ。
そんな風にして作者はこの物語を投げやりに終わらせて、近頃流行りの某小説投稿サイトとやらに載せようと、一度は考えていた。しかし、実際の僕はそんな主人公よりは誠実な人間なのだから、そういったあからさまな嘘よりは真実に内容を近づけておこうと、文章をもう少しつけ足してみたのだ。
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