『ガラスの50代』を読んで
年齢なんて気にしていないと頭では思っていても、実際はどうやら違うようです。というか、どちらかというと私は気にしすぎではないかと思ってきました。老いや加齢に触れた記事をめざとく見つけること著しく、いつまでも忘れないのだからちょっと重症です。そんな気にしすぎる証拠をご紹介します。ひとつは天海祐希さん主演の映画『老後の資金がありません!』の会見記事でした。作品の内容に触れた上で「自身も50代…老いは感じさせない」と、一見マイナスとも思わせる視点で書かれたレポートがありました。老いのことを「年を重ねる」といったような言葉でぼやかすのは賛成ではありません。でも老後を題材にした作品とはいえ、俳優の老いに触れるのってここで必要かしら?作品にフィットしてるのならいいのですけど。しかも相手は美しい天海さんなのに、と思ったわけです。
『モーリタニアン 黒塗りの記録』はジョディ・フォスター演じる人権派の弁護士が、同時多発テロに関わった容疑者として拘束されたモーリタニア人の男を救おうとする実話が元の名作です。もう一つの気になる批評はここでした。“アンチエイジングなんて気にもしないといわんばかりに、シワもそのままに熱演”しているジョディが素晴らしいのだ、と。彼女がハリウッド俳優だからこそ生まれた視点なのか、書き手の方が若き日のジョディをありありと思い出して、大きな落差を感じたせいなのか。そんな風にとるのかとショッキングでした。どちらも決して書き手に物申したいわけではありません。しかし立派な記事として掲載されているところを考えると、私はきっと少数派なのでしょう。
酒井順子著『ガラスの50代』(講談社)は私のような老いに迷える子羊にそっと手を差し伸べてくれるエッセイでした。肉体のこと、性のこと、若見せからの脱却など、少し前の40代とはまったく異なる50代の悲喜こもごもが描かれています。松任谷由実さんのライブや映画『ボヘミアン・ラブソディー』などを楽しむことが“懐かしむというレジャー”と位置付けされていたのはさすがの手腕でした。日頃いろんな方と話をしますが、楽しかった会話を振り返るとこの手の話題が鮮明に思い出されますもの。明るい希望もあります。50代は再会の時といい、以前やっていた何かに再び挑戦してみる、やりたかったことを思い切って始めるにはよいとのことです。本音をいうと林真理子さんがお書きになるもののような、希望に満ち溢れたキラキラしたお話を読んで、まだイケると自分を騙したかったような気もします。でもこれこそがこの世代の悪い癖。おそらく酒井さんのこの感じが実像だろうと覚悟をし始めたところです。
そう、実像なのです。天海さんやジョディ・フォスターともなると、ただ若さやキレイさだけを求める人はそうそういないと私は思います。なぜならそれなりに皆、年を重ねてきているから。いわゆる円熟です。なのになぜ下ってる、と見るのだろうか。答えをいつか見つけたいです。
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