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熱いスライムとなる(入院3、4日目)

入院3日目(32週5日)

 朝のモニターでも張りが治まらないため、リトドリンを最弱からもう一段階上げることになった。そして、中の人の成熟を促すステロイド注射も打った。万が一早産になってもよいように。思えば32週は、私が生まれた週数でもある。自分が元気に育っているだけに、どうしても楽天的に考えてしまいがち。母に伝えると、「自分の時は、ただただもたせるようにと。今産んだら精薄児(注記:当時の用語。現在は差別に当たるため使わない)になる可能性があると言われたけど、破水して陣痛が始まったからもうどうしようもなかった」と言われた。証言に時代を感じる。

 病院食にはほぼ毎食必ず果物が出てきてうれしい。今日出てきたりんごは、月桂樹のように丸く並べて飾り切りしてあった。輪切り、くし切り、拍子切りと、毎回、少しずつ形の違う切り方が並んでいる。新型コロナウイルスの緊急事態宣言が解けて間もない。面会時間も1回15分、家族3人までに限られており、楽しみの少ない入院生活に、少しでも潤いを届けようと配慮されているのを感じる。

 夕方の巡回で、医師と話す。「張りが治まったら退院」と認識していたけれど、極力張りを抑えながら、破水が来る前に帝王切開手術をするということで、これはもう出産までノンストップと考えた方がいいかもしれないと悟る。仕事が終わっておらず、後任に引き継ぎもできてない、家の片付けも職場の片付けも終わってない。それなのに、病院への道が片道切符だったなんて。

 夕食後のモニターで、張りが頻繁に出る。20分おきくらいの頻度に治まっていたのが、10分おき、あるいは5分おきくらいにどっどっどっどっと腹がせり出してくる感覚がある。看護師さんに伝えると、夜勤帯の医師に内診してもらうことになった。リトドリンは既に3段階まで濃度が上がっている。強い動悸と熱っぽさがさらに高まっている。内診の結果、子宮口は開いておらず、子宮頸管の長さも変化無しだったが、張りが治まらない。当直と残っていた医師3、4人が集まって、リトドリンの濃度を最高濃度にするかどうかのカンファレンスが始まり、結果、最高濃度になった。ますます動悸と息切れが激しくなる。かーっと熱っぽい。張りが治まらないのはステロイド注射の影響もあるかもしれないとのこと。あちらを立てればこちらがという感じで、難しいものだ。


入院4日目(32週6日)

 消灯時刻は22時。3時間ごとに看護師が点滴の様子を見に来る。でも見回りがどうであれ、この日は全然眠れなかった。ずっと長距離走を走っているような動悸があり、目を閉じてもその「ドッドッド」という動悸が響いてくる。ベッドがずっとゆらゆら揺れているような感覚。0-3時くらいは少しとろとろしたけれど、それでも浅い眠りで、全然ダメだった。私は全く不眠の経験が無く、いつでもどこでも寝られるたちだけど、不眠症の気持ちが少し分かる気がした。こんなにドコドコ響いて、揺れている中で、眠れという方が無理な話だ。交感神経がMAX状態で、溜まっている仕事の骨格が次々と脳裏に浮かんでくる。

 朝の回診で、医師から説明がある。点滴でリトドリンを最大量にして、昨日よりは張りの強さは治まったけれど、張りの間隔が短くなっている。つまり頻繁に張っている。今の薬は最大量なので、マグセントという別の薬を増やす。でもそれが投薬できる最大限という感じで、一番怖いのは、張りが治まらないまま破水が起きて、下垂しているへその緒が圧迫されること。その方が赤ちゃんへの負担が大きい。なので、このまま治まらなかったら、帝王切開にして赤ちゃんを出す。今の週数で出しても、少し呼吸器は弱いかもしれないが、100%生きられるので、とのことだった。確かに、昨日は10分周期くらいでぎゅーっと張る感覚があったけれど、今日は5分おきくらいにへその下あたりがぐぐっと張る。

 マグセント投与の準備が始まる。看護師さんが「薬の効果を高めるために最初はブーストして強めて入れていく。なので、自分で自分の体じゃないみたいに感じてきついと思うけど、30分くらいで終わるから、がんばりましょうね」とおっしゃる。点滴が入っていくと、体が強い日差しを浴びているみたいに熱くなってきた。かーっと熱くなった泥のようで、自分の身体全体をスライムのようにへろへろに感じる。なんだこれは。

 朝が絶食と言われていたけれど、取り置いてもらっていた朝食をぬくめてもらって、食べられることができた。食事が命綱というか、唯一の楽しみ。絶食と言われてしょんぼりしていたのが少し落ち着いた。

 今の状況を客観的に見ると、薬漬けのような感じだ。「自然派」の人たちには眉をひそめられるだろう。でも、妊娠しただけで酒や珈琲を飲みたい気が失せたり、嗅覚が過敏になったり、それらはつまりホルモンのしわざで、人間なんてホルモンの乗り物に過ぎないという実感を覚えた。だから、薬だってそういう身体に作用する化学物質の一つなのだと言いたくなる。それ以上でも以下でもない。マグセントの説明をしに、病床まで薬剤師さんが説明に来られた。副作用には個人差があること、強い虚脱感があることなどを懇切丁寧に説明される。これが「アンサングシンデレラ」(ドラマ化された漫画。院内薬剤師の物語)なのだな…と。昼過ぎに内診をして、子宮口もへその緒下垂も変化無しだけれど、張りは弱まったのでこのまま様子を見ますと言われた。薬もこのまま。病床ではアイスノンが手放せない。

 熱いスライム状態ながら、病床でパソコンを開き、こまごまとした仕事と、人事部と育休起算日が変わることについてのやりとり、あれこれやってへろへろだったところに、夕食がすき焼き、しかも半熟卵付き。生ものを控えていたので、半熟であってもとろとろの卵がこれほどうれしいとは。かみしめて食べる。

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