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35年ぶりに実用フランス語検定を受けた理由。

2020年11月。
私はフランス語検定を受けるために、出町柳から京大の方へ向かって歩いていた。途中、35年前の仏検の会場であるアンスティチュ・フランセの横を通る。名前はアンスティチュに変わったが、建物は当時の日仏学館のままだ。記憶を辿ろうとするが、ところどころしか覚えていない。地下鉄がなかったから、京都駅からバスに乗ったはずだ。

この歳になって、何故フランス語検定を受けたのか?

表向きの理由は、Anneへの恩返しという意味になる。
Anneとは2019年の12月の「おん祭り」で出会った。

2020年に入り、春からフランスがロックダウンしている間、彼女は実に頻繁にレッスンをしてくれた。週一で一回につき2時間くらいwhatsupで話した。オンライン会話の授業料に換算したら、スゴイ金額になる。
この厚意に、どうやって報いようかと思った時に、仏検合格という形にしてはどうかと思いついたのだった。


そして、もう一つの目的。
私は35年前に次女がお腹にいる時に、仏検を受けに京都にあった日仏学館へ行ったことを思い出した。妊娠6ヶ月くらいだったと思う。

あの時、私たち夫婦は夫の女性問題で離婚の危機に瀕していて、それを何とか乗り越え、やり直そうとしていた。

やり直そうと決めたものの、私の気持ちはかなり捨て鉢だった。そんな中、創設されて間もない仏検を受ける事で自分の気をそらそうとしていたのかも知れない。

35年前の私に会ってみたかった。言わば追体験したかった。

次女がお腹にいる時、私は随分悲しい想いをした。胎教とか言って、ゆったりと過ごさねばならない時期に胎児にスゴイ負担をかけたと思う。

彼女が亡くなった時に真っ先に浮かんだのは、そのせいで彼女がアトピー性皮膚炎や死因となった脳幹の異常が出たのではという事だった。

子供に先立たれた親は間違いなく犯人捜しをするとだろう。
明らかに加害者がいる場合は、その相手に向けるだろうが、そうで無い場合は自分責めをしてしまうのではないだろうか。

私も何度となく、お母さんのせいだよね、お母さんが殺したみたいなものやな、と言う思いが浮かんで来ることがある。

ホントにゴメンと思う。
申し訳けなくて辛い。
助けてあげれなくてゴメン。

何が足らなくて、何をやり過ぎたのか?
お母さんが、あんなこと言ったからか?
もっとやり方はなかったのか?

冷静に考えれば、そんなことは関係ないのだと分かるが、その思いに取り憑かれる時はどうしようもない。
それも癒しのプロセスなのだろう。
どっぷりと浸ってみる。
そんな時間を過ごしたかった。


試験の後は、紅葉に燃える永観堂へ。
この前に来た時はまだ彼女がこの世にいたなと思いながら。

誰も私が感じているそんな深いところまで分からないだろう。仕方のないことだ。
だから、人のことも同様に思いやらねばと思った。

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