4年間のモラトリアム:コロナパンデミックを回想する。
今日は次女の4回目の命日だった。
皆んなで墓参りをして、ランチして、子供たちをモールで遊ばせた。
コロナは終焉したわけではなく、罹患者が増え続けているのは知っている。
現に我が家全員が5月末にコロナにかかった。
でも明らかにもうパンデミックと言えない様相になってきていて、あちこちで4年ぶりとなる神事やイベントが復活している。
また人々が集い、話し、笑う。
私も何食わぬ顔で参加している。
この4年間は、傷を癒すことは出来ないにしても、傷を覆い隠す分厚い膜が張ることには役立った。
パンデミックが無ければ、相当辛かっただろう。
生の傷口を曝け出しながら社会生活を継続しなければならなかったし、隠遁生活を決め込むには相当な力が要ったに違いない。
コロナ禍の隔離生活では、大きな顔をして家に籠れた。
通訳案内士やご当地検定の本やzoomで勉強しまくった。
合い間に地元の人けのない社寺に行って、深呼吸をした。
般若心経を読む講座も取った。
お蔭で、物質に固執することが無くなり、生き方が楽になった。
生老病死も受け入れられるようになった。
旅行も上手に3回行った。
もちろん、すんなりと過ぎたわけではない。
気持ちは乱高下する。
この4年間、娘のことを思わない日はなかった。
なぜ、こんなに早く逝ってしまったのかと愚痴っぽく思う日もあるし、
こんな罰ゲームのような人生をリセットしたいと思う日もある。
彼女は短くても濃厚な人生を送ったのだと思える日もある。
私に色んな事を教えてくれるためにやって来て、お役が済んだから還ったのだとも思う。
一番辛いのは、結局「自分責め」をやってしまうこと。
何とかして助けてやれなかったのか。
もっと早く予兆に気がつけなかったのか。
喧嘩をした時のことを思い出して、
なぜ、あんなことを言ったのだろうかとか。
私の思い込みで彼女を誘導しようとしたこと。
かなり重症のアトピーを代替療法や精神論で改善できないかと一生懸命になったが、素直に病院のステロイド療法を受けさせたら良かったとか。
もちろん、私は良かれと思ってやったんだけど…
私は悪い母親だ、
娘は私を恨んでいるのでは、
という思いに行き着いてしまう。
10月15日もそんな気分の真っただ中にいた。命日が近づくと気持ちがザワザワするのも関係しているかも知れない。
東大寺では良弁僧正1250年御恩忌が営まれていて、752年の大仏開眼供養会の再現を見たいと思い、参列した。
途中で歓声が上がったと思ったら、散華が撒かれていた。
ひらひらと桜の花びらのように、散華が宙に舞うのはとても美しかった。
私は離れたところにいたので、拾うことはできなかったが、どうしても欲しいなと思った。
大仏殿を出てから、私はウケイを思いついた。
「もしお母さんを許してくれるなら、散華を拾えるようにして」
しかも、Moegiという娘の名前に因んで、「緑色の散華」という注文まで付けた。
散華は風で東の方に流れて行ってたから、猫段の方へ行けば、落ちてるかも。
そしたら奇跡のように階段脇に、黄色の散華が落ちていた。
涙が出そうになった。
許してくれるんや!
でもいくら歩き回っても緑どころか、それ一枚しか見つからなかった。
それだけで十分だと思ってた。
Moegiは yellow-wishだから、黄色入ってるし…
けど、1週間後に大仏殿横を通る機会があったので、欲張りな私はまた探してしまった。
1週間後に残っている訳ないよなと思いつつ。
そしたら何と溝の湿った土の上に「緑色の散華」を発見した!
びっくりして、震えながら拾った。
土はついていたが、家に帰ってから、水拭きをして、アイロンを掛けると見違えるほど綺麗になった。
今は手帳に挟んでお守りにしている。
しょーもない偶然だと笑うことも出来る。
でも私は信じることにした。
お母さん、大好きやで。
私は今幸せなところに居るで。
娘からのメッセージだと信じることができるようになったのが、4年後の私の進歩なのかも知れない。
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