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言語化できない自分が音になる




ピアノを弾き続けていなかったら
私の精神は崩壊しているかもしれません。

得意分野:情報処理と共感力

誰もが自分の中で得意分野と不得意分野があります。
私が割とスムーズにできるのは情報処理と他の方と共感することです。
膨大な情報を整理して人に伝えたり
物事を言葉で表現するのが好きです。
景色がどのように綺麗だったのか、
料理の味がどのように美味しかったのかなど。
また、人の感情を100%ではないけれど、よく分かる方だと言われます。

不得意分野:自分の感情の言語化

逆に不得意分野は、色々感じ取っているけれど、自分の中に起こる感情のエネルギーを言語化できないことです。
だからなのか、素敵な文学書、素敵な歌詞、曲を書かれるアーティストさんに出会うと心が共鳴して震えます。

感情の言語化を試みるも

言葉で伝えることが得意と思われるけれど
実は…自分の外に起こることに限ります。

生きていると
心臓から胃にかけてキュンとなったり、
ギュッとなったり、
そういう感覚が長かったり一瞬だったり、
奥行きの違うキュンとかギュッとか、
心臓の近くからほわーんと体中に拡散する感じだったり、
背中だけにゆっくり広がる感じだったりetc...

言語化を試みたけれど、
感情の言語化というよりは
蚊に刺されてかゆい
小指をぶつけて痛いと
同じような、ただの描写になってしまいました。

感情に合う言葉が見つからない

殆どの感情はどの言葉にも当てはまらない気がします。
上手く言葉を探せない自分がいます。どの言葉も適切に感情のエネルギーを表せないなって。そうなると自分の中で色んな形・大きさの感情エネルギーがどんどん溜まるのです。
溜まりすぎると正直厄介です。

感情は過程を経て流動的なアクセサリーになる

言語化できない代わりに、それぞれ異なる形の感情エネルギーの欠片の一つにでも合う作曲家さんの音・ニュアンスに出会うと、これだ!とそのエネルギーの欠片を音の波として初めて自分の外に出してあげられます。

そのように外へ出された感情エネルギーは異なる形で物理的には鼓膜を通して、感覚的には体中に伝わる響きとして自分の中に戻ってくれます。そのように戻ってきた感情エネルギーは今度、出番があれば使えるアクセサリーのようなより確かなものに変わってくれます。アクセサリーになっても形は流動的ですし、相変わらず名前は付けられないけれど。

ピアノを弾いていると…

ピアノを弾いていると
心臓から胃にかけてキュンとなったり、
ギュッとなったり、
そういう感覚が長かったり一瞬だったり、
奥行きの違うキュンとかギュッとか、
心臓の近くからほわーんと体中に拡散する感じだったり、
背中だけにゆっくり広がる感じだったりetc.

今日も私の感情の欠片たちが運命の音と出会い
音として外へ解放されます。

素敵な1週間になりますように。

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