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病気と電車とペットの切符

ビビっていたのである。
久々のペットショップからのセキセイインコのお迎えに、ヌシは内心相当ビビっていたのである。
なにをビビっていたのか。
感染症である。
つまり、PBFDが怖かったのである。

【※ヌシ~私の意味である。鳥の話題の時はあくまで鳥が主体なので、ここでは『鳥の飼い主(ヌシ)』ということでヌシ、という一人称で統一しておる】

鳥飼い以外でPBFDを知っている人は少ないだろう。
PBFDとは猫飼いにとっての猫エイズ、犬飼いにとっての狂犬病のようなものである。
いや、違うかもしれないが、ヌシにとってのヤバイ病気のイメージという点でそれなのである。

PBFD(Pcittacine Beak and Feather Disease)とは、 オウム類の嘴・羽毛病で、そのウィルスは免役低下を起こさせるうえに、とても感染力の強いやっかいなものである。
感染経路は感染した鳥の羽毛や糞に付着したウィルスを摂取することによる。
特効薬はない。
治療は免疫力を高めるためにインターフェロンなどを投薬すること以外に対処法がないのが現実だ。
そして、治らなければ全身の羽が抜け、免疫不全を起こし、日和見感染で衰弱して死ぬ。

そして、嫌な予感は当たるものなのである。
お迎えしたばかりのセキセイインコの雛である3羽のうちの1羽、イカルガの羽が抜け始めたのだ。
PBFDの初期症状で多いのは突然羽が抜け始めること。
そして、抜けた羽の先端は血液が固まって黒くなっている状態が多い。

抜けた羽


最初は顔周りの羽と長い羽根が抜け始めた。
PBFDか? と思ったものの、羽の先端の羽軸は黒くなく途中で毟ったような形状であったこともあり、同じケージ内にいる仲の良いジャンボセキセイインコに毟られたのだろうと思っていた。

そんなわけないのである。
羽繕いをした程度で羽は抜けない。
今考えるとよくわかる。
その時は正常性バイアスがかかっていたのである。

よく抜けるな、と気が付き始めてから毎日2枚づつ抜けるのである。
抜けた羽の先には血が付いていたり、羽軸が黒っぽくつまり血液の凝固したものが詰まっていたりしているのである。
それは典型的なPBFDの症状である。

ヌシは確信した。
PBFDであると。

幸いヌシはビビっていたのでお世話は必要最低限、匂いをかいだりチュウチュウと鳥を吸ったりもせずにご飯をあげるだけにとどめておいた。
挿餌後に次亜塩素酸水で消毒もした。
先住の鳥達に感染を広げないためである。
しかしながら、まさかそんなことはないだろう、という思いもあったので、エプロンをするくらいでお世話後毎回服を着替えたりシャワーを浴びたりはしていなかった。
ちなみに他の2羽に変化はなく、イカルガは3羽の中で一番元気で人間の顔を見るとよくピーピー鳴く。

これは一刻も早く医者に行って治療を開始しなくてはならない。
しかし、かかりつけの鳥専門病院は常に混んでいて、予約まであと1週間以上あった。

待てない。
待てないのであった。
ヌシは堪え性がないのである。
すぐに違う病院に電話をかけて最短の2日後に診て貰うことにしたのであった。

遺伝子検査も待てないのであった。
サンプルを飛行機に乗せて検査機関へ運ぶくらいなら、ヌシが走って泳いで検査機関へ届けようと思うくらい待てないのであった。
前のレースで推し馬が負けたら、次のレースで自分が走りたくなるくらい待てないのである。

抜けた羽を見ればPBFDであることは素人のヌシの目にも明らかであり、もちろんそれを見た獣医師の目に明らかであったから、とっととインターフェロンで投薬を開始して貰ったのであった。

そして今、全てを記録すべく我が家でこれを書いている。
何故だろう、まだ治療は始まったばかりで治ったわけではないのに、今は少し安心している。
これから悪くなることはない、良くなるだけだという思いからだろうか。
PBFDは何年と言うスパンで闘病する子も多く、必ず治る病気と言うわけではない。
ただ、まだ生後1か月ちょっとのセキセイインコで発症間もない子たちの陰転率は高い。
イカルガと、症状は出ていないけれどおそらく感染しているだろう同居のセキセイインコ2羽もすぐに健康体になるはずだ。


そして今回行った動物病院はヌシ宅からかなり遠くであり、ヌシはマイカーを持っておらずタクシーで行くほどの財力もないために、列車での移動を選択した。
もちろん患者である鳥を連れてである。
そして、今回電車を乗るにあたりあらかじめネットで調べて知ったことなのだが、動物にも切符が必要だったのである。

黄色と黒は勇気の印

しかし、いざJR職員さんに「ペットも乗車したいので切符をお願いします」と言うと、素朴な顔をした駅員さんの表情がなぜか「エッ」という驚愕の表情に変わり「はい、あ、運賃ですね、かかると思います……」とおっしゃられた。

彼は年季の入ったマニュアルをペラペラと捲り出し、「エト……ント……」とちいさくてかわいいなにかのようにページに指をさしさし何かを確認しているのであった。

ペットの種類を聞かれたのでセキセイインコだと答えると、彼は何故か鳩の話をし出した。
「エト……鳩だと280円……」
いや、セキセイインコなのであると思ったのだが、羽は生えているし鳥には変わりないので280円を払った。
「ンショ……」
駅員さんはたどたどしい手つきでペットの切符とペットカードをホチキスで留めてくれた。

そして乗り継ぎもありおよそ1時間かけて病院までたどり着いてたのであったが、鳥と一緒に電車に乗るものではない。

今回は鳥を入れたキャリーを持っているということで長時間立っているのも辛いと思い指定席を予約したのだが、鳥というものはよく鳴くのである。

そう、周囲の客にキョロキョロされるのである。

しかもひとり元気よく鳴いているのはPBFD疑いのイカルガである。
そのうえ指定席は満席でそのうえのうえ、ヌシの隣の乗客は白スーツにパナマハット、サングラスのちょっと怖い人っぽいおじであった。
ヌシはおじを心の中で麻生太郎と呼んだ。

麻生太郎が指定席に座る前、ヌシの横には明らかに外国から来たであろうおばちゃんが座っていた。
おばちゃんが座る前に同行者である娘っぽい女性が隣の席を指さしてヌシに何かを言ったのだが、おそらく英語じゃない感じの言葉で全然良くわからなくて(英語も全くわからんが)、首をかしげていたらその娘らしき女性がおばちゃんを呼んで堂々と座らせたのである。
優しい。
自分は座らずに母親に座らせる。
とても優しい心の持ち主だ。
しかし、ヌシは確信した。
このおばちゃん御一行はここが指定席の車両だとわかっていないと。

そしてその直後に麻生太郎が来た。
麻生太郎は怒るでもなく切符を持っておばちゃんを見下ろしていた。
ざわつく指定席Uシート車両。
麻生太郎は切符と座席を交互に指をさして「アア……」と頷くと、おばちゃんは大人しく席を立った。
麻生太郎の静かなそれでいて圧倒的な覇気がおばちゃんを退けたのであった。
車内は平静を取り戻した。

麻生太郎は良い人であった。
「図々しいやつがいたもんだな」と話しかけてきたかと思ったら「俺の席、ここで良いんだよな?」と指定席の切符をヌシに見せてきたのである。
その後、特急と快速と区間快速と特別快速の違いの話をし、そのタイミングでイカルガが鳴きだしたので、ヌシがペットカードを見せて「鳥です……うるさくてすみません……」というと麻生太郎は「ん? ハハッ……」と口元にダンディーな笑いを浮かべたのであった。

電車移動は想像しないことが起こるのである。
鳥同伴での電車移動は疲れるのである。
もう絶対にしないと思った初夏の午後であった。

病院にて、イカルガたちセキセイインコには無事にインターフェロンの注射と飲み薬を処方してもらった。
実を言うと、今ヌシは乳母をしているだけで、イカルガは一人餌になった後にはあるべき家に巣立って行く予定だ。
彼は3羽の中で一番元気で一番よく鳴いて一番ヌシの顔を見ると喜んでくれて多分一番ヌシのことが好きで圧倒的に一番可愛い。
思いきりイン粉を吸えないのが悲しい。

おそらくはPBFDの陰転を確認することなく、一人餌になったらお別れすることになるけれども、それまで愛情いっぱい育てて行きたいと思った7月の14日、年末まであと170日ある1日であった。

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