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【ネタバレあり】今更ながら映画「天気の子」の感想

公開初期に鑑賞はしたものの、ネタバレを気にしているうちに、もう公開から一年経過するそうで、それなら許されるかと思い立った。
作品の核心に言及するかもしれないので、未鑑賞の方は注意していただくか、ここで読むのをやめることをおすすめしたい。

本作は前作「君の名は。」と比較して、観客の意見が大きく分かれた作品だったと思う。それは「君の名は。」が、田舎と都会の舞台を行き来することで情景の変化が大きく、引き込まれたら「我にかえり」にくい構造だった、というのが最初の理由だと思う。
本作では、序盤から都内が舞台で、都会に住む観客ならなおのこと「引き込まれにくい」と私は感じた。新海作品の大きな特徴である、細密で美しい背景美術は、この点に関してのみ、デメリットの一つだったかもしれない。私も序盤の家出生活のあたりは正直に言って苦痛だった。
できれば蓋をしてしまいたい都会の醜さや息苦しさがこれでもかと陳列され、かつそれがあの細密さで描かれているからだ。
いっそここで席を立ってしまおうかと一瞬思案した。

しかし、無意味なシーンの連続には見えなかった。受け取り方を変える必要がある。例えば、描かれているものが何かの「暗喩」だと思えばどうだろうか。
何があったわけではないが、無性に「ここではないどこか」に憧れて、狭い島を飛び出して、たどり着いた「どこか」は夢を叶える舞台ではなく、息をするのも苦しい世界。切迫した問いはからかいの対象になり、純真すぎるゆえそれを真に受けてまた傷を負う。そうしてボロボロになった主人公が「拳銃」を拾うが、これが何かの暗喩だとしたら、多分それは「反抗心」とか、そういうものかもしれない。

一度はそれを捨て去って、社会と折り合いをつけながら生きていこうとするものの、うまくいかない。
そうして追い込まれた主人公が再び手にしたのが「拳銃」だった。

描かれるものに何かの比喩が隠されていると仮定すると、本作のなかで私が一番心動かされるシーンがある。
ヒロインの自宅は複数路線が乗り入れ、電車の発着するたびに揺れる駅の近くのアパートにある。
電車や線路が「人生」や「運命」の比喩にされることは、映画「スタンド・バイ・ミー」などが良い例になるが、本作も同じ意味を感じた。
「ここにいたい」という願いが暖かい空間には満ちていて、それは場面に暖色が多用されていることから感じられる。
しかし、人生の方向性を定めた人々が乗り込む電車が、彼女たちを急き立てる。「お前たちはいつまでもたもたしているんだ?」というように。
線路は物語終盤でも大きな役割を担っている。ヒロインの姿が消えて、嘘のように晴れ渡った東京を主人公が疾走するシーン。彼は自分の足で線路を走っている。自分の力で人生を進んでいく。制止されても振り向くこともなく。

ヒロインの能力が唐突に感じるという違和感も、私の中では比喩として決着した。
みなさんの周囲にもいないだろうか。その人がいるだけで気持ちがスッキリと「晴れ」てしまうような誰かが。
そうして周囲に笑顔を振りまくうちに消耗してしまうような人。彼女はそういう人なのだと感じた。

そして本作の中で私が愛してやまない男の話もしておきたい。
彼はおそらく主人公と同じやるせなさを抱え、しかし主人公ほどまっすぐにそれらを押しのけることができなかった。
うなぎの寝床のような、狭くくらいすみかで、隠れるように暮らしていた。
守りたいものからは遠ざけられ、しかし無理やり掴み取るには、おそらく彼は賢すぎた。
できることなら主人公のように、全てかなぐり捨ててでも守りたいものがある。だから彼は自分でも気づかぬうちに涙を流したし、最終的に主人公の背を押した。彼というキャラクターがいなければ、私の本作への評価は覆っていただろうと思う。
まっすぐであるがゆえに警察という、社会の「規範」に背いてしまう少年と、そこまでまっすぐにはなれない大人の対比が、とても切なく、美しく感じた。

ここまで要素に分けて、思いつくままに感想を並べてみたが、作品全体としては「非常に詩的」であると感じた。前作が直球なエンターテインメントだったのに比較すると、少々「わかりにくい」という面はあると思う。しかし、そのわかりにくさをほぐしてみると、痛いほどまっすぐな願いが見えてくる。
物語文学としても楽しめる一作として、私は本作を「名作だ」と伝えたい。

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