KANさんの人生は、予定どおりに偶然に
KANは逝った
1989年のこと、たまたまラジオで聴いた「東京ライフ」が好きで、アルバム買って繰返し聴いた。オルタナティブとレアグルーヴの時代に、BillyJoelみたいな70年代のテイストに密かに耳を傾けていた。後に「ツルモク独身寮」でも描かれた歌詞の世界になぜか大阪での独り暮らし時代を思い出したのかもしれない。
「愛が勝っ」たのはその一年後のことだ。
それから10数年たったある夜、赤坂見附のロックバーで、たまたま御本人を見かけた。仲間に囲まれ、明るく穏やかにお酒を楽しまれていた。
確か当時はBOOK・OFFの叩き売りの常連、レンタル落ちも大量にヤフオク!に溢れていたこともあり「かつてのスターがこんなところで飲んで」、
なんて失礼にも勝手に思ってしまった。
2010年、たまたま深夜のテレ東で「よければ一緒に」のPVを見て、8分もある曲なのになんでこんなにハマったのかわからない、がとにかくハマった。初めて音楽に目覚めてからの数十年間が込められたような、凄まじい名曲だ。
スルーしていた10数年間のアルバムも集めはじめた。アルバム集めは容易なような困難なような、、叩き売られていた筈なのに、なかなかない。再発盤は欠品が多いし意外と難儀したせいか、コンプリートはいつの日か断念していた。
2021年、アップフロントさんとお仕事することになった時に、たまたまご担当者からKANとスタ☆レビのライブの話を聞き、さらに毎年Bank fesに出演されていることを知った。ものすごく観たくなった。いつかライブにご招待を、が、そう言われてるうちに僕は会社を辞めた。
2023年今夜、訃報に接した。難病だそうだ。
最期のtweetがビートルズについて述べ、
「いろんなことが素晴らしぎて書き尽くせない。
エンディングも美しいですね。」
と知り、泣けた😢
KANが音楽を聞き始めたのは私と同じ1977年頃で、あの時代のポップス愛好者としての軸はブレていない。
桜井和寿やaiko、草野マサムネらはJPOPの先駆者としてのKANからの影響を公言しているが、隆盛極めたJ-POPと70年代のブリッジとしてKANが存在したことは間違いない。
2006年移籍以降の彼の紡ぎ出すポップスは滋味溢れた素晴らしい作品ばかりだが、コミカルながらどこか憂い漂う作風と、素直な言葉で語りかけるような詞世界は一貫している。
常に「たまたま」KANさんが僕のプレイリストにあがる。人生にアルゴリズムやリコメンドが機能していればこんなに時間もかからず遠回りもしなかったはずだ。
でも遠回りしたからこそ、時間がかかったからこそ、彼の音楽に触れたときの味わいは深い。
カンチガイもハナハダしいKANさんの人生
御冥福を御祈りします😢
予定どおりに偶然に
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