学歴・年収・役職だけで人を判断してはいけない理由
学歴
日本でいう学歴とは、18歳時点で合格した大学のことを指す場合が多い。本来は、学士・修士・博士などが学歴なのだが、日本においては18歳時点での偏差値や、総合型選抜の結果だけで評価する傾向にある。18歳は、平均寿命80歳を超える現代において、人生の25パーセント程度でしかない。その後の努力が反映されてはいない。また、偏差値は、あくまでも受験難度であり、人間性や職業でのスキルとは無関係である。ただし、東大卒は教養がある人が多い傾向にあり、そのような教養じたいはリスペクトの対象である。
年収(または保有金融資産)
学歴以上に水ものだと思う、高年収になれるかどうかは「運」の要素が非常に大きい。旧帝大や早慶であったとしても、就職氷河期やリーマンショック直後に就活したら、情けない結果しか出せなかっただろう。生まれた年や経済状況に左右されるし、時代によってはパワハラ・セクハラや過労死レベルの長時間労働で抹殺された(犠牲になった)労働者も多かった(高橋まつりさん、佐戸未和さん)。また、株式投資で資産家になった人などは、ただのギャンブラーと同じであり、全く尊敬できない。社会にどれだけの貢献をしたかが大切であると思う。パチンコ会社の社長や、パパ活で荒稼ぎする女性よりも、ボランティアに励む人のほうがリスペクトできる。
役職
これもあてにならない。大手企業が犯罪に手を染めることなど日常茶飯事だろう。財務省の佐川氏など、エリート中のエリートだが、公文書改ざんを指示した犯罪者だ。エネオスの元社長も女性の身体を触った痴漢である。また、経営者に成り上がる人はサイコパスが多いと思う。出世競争に打ち勝つには、誰かを貶めるなど、手段を選ばないことも時には必要だ。自分の良心をころすことができるかどうかだ。そのため、高学歴で出世できない人のことを悪く思うことはない(もちろん、狡猾さではなく、単純にスキル不足の人も多いと思われ、それは本人の努力不足だと思うが)。
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