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-幸せや楽しみ、或いは、未だ見ぬ風景に-

ありふれた話だけど、コロナ禍で、一人きりで部屋にいるから、色んなことを考えてしまう。

さっきも湯船に浸かりながら、思いを巡らせていた。

わたしは、今は新人賞に向けて、小説や短歌を日々あれやこれやと制作している。

だけど。

今、幸せを感じること、それが大切なのかもしれない。



何も、そこまで近視眼的に、目先の結果に拘らなくてもいいのかもしれない。

楽しく小説を書いたり、楽しく短歌を詠んだり。

それでも、いいのかもしれない。

或いは。

バンドでも組みたいな、とか、いつかまたきちんと油絵を描きたいな、とか、そういう欲求のまま、生きる方が幸せなのかもしれない。

だけど、せっかくの一度きりの人生。

僅かでも可能性があるなら、思い切り結果を残し尽くすために、全力を賭けたいな、という思いがあるのかな。

わたしの場合は。

楽しく書くだけの小説や、楽しく詠むだけの短歌では、見えない景色や風景が、そこにあると思うから。

結果を残したくて、結果を出したくて。

色んな人たちの作品を参考にして。

色んな人たちの生き方を参考にして。

そうして、試行錯誤して、軌道修正して。

これでいいのかな、いや、これじゃだめだな、ここは、こうした方がいいかな、否、前はここを評価してもらえたな、こういった部分は評価の対象にはならないのかもしれないな。

そうした、試行錯誤や軌道修正の中でしか、見えない景色や風景が、確かにある。

わたしは、きっと、そんな景色や風景を、もっとより結果に近い角度に至るまで、色んな想いや悔しさを、この胸に、この腕に味わいたい、そう思っているような気がする。

そんなことを、湯船に浸かりながら、ぼんやりと考えておりました。

また、明日になったら、もう少し別な視点が開けているかもしれないし、まったく異なる考えとなっているかもしれない。

それは、わからない。

ただ、少しずつ、一歩ずつ、前に進んでいるその自分の中での手応えを、もう少し信じてみたいと思う。

あくまで、わたしの場合は。

それではまた、春眠の揺れる夜に。

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