-わたしが執筆をしているたったひとつの理由-
皆さま、お陰さま、お互いさま。
ニイハオ、お元気でしょうか。
わたしは、それほど元気ではありません。
あぁ、やるせないなぁ、苦しいなぁ、死んでしまおうかなぁ、かっこ死なない、とか思いながら、べらんめえ生きてます。
◇
今夜は、「わたしが執筆をしているたったひとつの理由」というタイトルで記事を書こう、と思い立ちました。
内容は、これから考えます。
むしろ、わたしが執筆をしているたったひとつの理由、って、そのひとつって、何やねん、そこから考える予定です。
わくわくと、楽しい時間に、なりそうです。
◇
最近では、「生配信」というものが、とても流行しています。
なので、わたしも、「生note」を書こうかな、と。
まぁ、noteの記事は、ほとんど行き当たりばったりなので、基本は、いつも「生note」に近いのですが、今回は生粋の「生note」にしたいと思います。
◇
さて、本題に入ります。
わたしは、音楽やアート、短歌なども詠んでいます。
◇
あれは、二年前の夏のこと。
わたしは、いつも以上に、人生に思い悩んでいて。
まぁ、わたしは、ほとんどいつも人生に思い悩んでいるので、いつも以上に、ということは、相当なものでしょう。
占い師の知り合いの方々に、めたくそに占ってもらっておりました。
◇
そのなかで、あるとき。
「短歌を何よりも大事にされていますね」
「絵は子どもの頃から大事にしているようですし、音楽は今大切にされているかと思います」
「小説は、必要でしょうか」
という問いを、投げかけられました。
わたしは、実に、執拗に思慮深い人間なので、何もそこでは即答はせず、一旦持ち帰ることにしました。
◇
「小説は、必要だろうか。うんぬんかんぬん」
帰り道に考えながら、その日か、翌日くらいにモスバーガーに立ち寄り、原稿と睨み合いました。
時期は、八月半ば、であったように思います。
確か、八月末の〆切に向けて、最後の直しをかけていた頃である、と記憶しています。
◇
ちょうどその頃、「短歌研究」誌で、予選通過の報を受けていました。
予選通過、とはいえ、応募者の七割が予選を通過できる新人賞です。
そこで、短歌に絞るか、考えました。
考えましたよね、いろいろ。
それで、結論として、そのとき書いていた小説を指差し、(実際には、別に指を指したりはしてません)、「この小説には、価値がある。プライスレス」という結論に至りました。
まぁ、本当のところを言うと、さすがに「プライスレス」とまでは思いませんでした。
◇
そして、その年は、かすりもしない。
フルスイングの三球三振でした。
まぁ、フルスイングか、わからないし、別に三球というか、もっと何球も投げてました。
◇
その翌年の、その同じ新人賞。
昨年のこと、です。
秋口に、一次審査の発表があり、念願の一次審査を通過しました。
◇
あのとき、迷っていた、あの新人賞です。
プライスレス、です。
◇
そして、その翌年、その翌年が、今年です。
まぁ、言わずと知れた、毎日のように、赤の他人から、こっぴどくばかにされています。
ばかにされること、そのこと自体がトーマス氏のアイデンティティであるか、の如くです。
◇
そんなとき、思い出します。
赤レンガ倉庫で展示をしたとき、隣では横浜トリエンナーレが開催されていました。
「いつか、隣の会場で、あなたの絵を観られるといいな」
◇
また、思い出します。
水戸駅での路上。
「頑張ってください」
そう言って、男子高生から手渡された手書きの応援メッセージ。
◇
「今のうちに買っておいたら、いつか価値が出るかもしれない」
◇
「小説は、必要ですか」
◇
その、ひとつひとつを、忘れるわけがない。
或いは、ここには載せない言葉や、思いなら、ここには載せないが、腐るほどある。
◇
今夜も、めっぽう苦しんでいる。
トーマスおじさんは、びっくりするくらい、めっぽう苦しんでおる。
◇
だからこそ、ここで握り続ける筆を、しかと大切にする。
◇
わたしが小説を書いているたったひとつの理由。
◇
それは、あなたとの。
(交わしてはいない)、約束だから。
◇
うし、格好よく決まった。
お後がよろしいようで。
それでは、また、約束の叶う夜に。
◇ ◇ ◇
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