-執筆のはなし-
このところ、執筆ばかりしている。
それは、或いは、ご存知かもしれない。
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音楽も制作しているし、絵画も描いている。
しかし、今は、その多くの時間を、執筆に費やしている。
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これから、執筆を頂きます。
という、投稿のために撮影した写真である。
どうか、今夜も一局、お手合わせ願いたい。
そういった、ところであろうか。
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次の〆切は、来月末である。
ここにきて、やっと季節感の整合性を整え始めている。
つい雰囲気で、秋の風、とか、新緑の、とか、それっぽい雰囲気で書いてしまう。
そのことに限らず、台詞ひとつにしろ、そういう自分の悪い癖をひとつずつ直していく作業なので、作品の改稿は何十回もくり返し読み返すことにしている。
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また、一度直した箇所は、わりかし覚えていて。
Wordで、修正し忘れた箇所などは、次の改稿の際にも覚えていて、直し忘れは、次の機会に直すことにしている。
一度直したけれど、元の文章に戻すこともある。
そのときは、元の文章を、正確に覚えていたりする。
そのくらい、改稿の作業には、心血を注いでいる。
どこをどう直したか、きちんと把握している。
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「光」という映画を、少し前に観た。
永瀬正敏さんが主演の映画で、視覚障害の方のための映画のガイド音声を制作している現場の話を主とした映画である。
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社会的には、弱者かもしれない視点を切り取りながら、きちんと前向きな姿勢を、綺麗事ではない観点から描いていて、とても好感の持てる映画で、また観直している。
その映画のガイド音声の文章の制作は、わたしの執筆に似ているところがある。
わたしは、基本的には、まずは舞台となるシーンの映像というか、絵的なイメージが浮かび、そのシーンを切り取るための言葉を選んだり、探したりする、そういう執筆をしている。
もちろん、そうじゃないときもある。
しかし、だとしても、書いているうちに、そのシーンの絵的なイメージが広がり、相応しくないと感じたところを、ひとつずつ直していく。
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ここ6、7年は、演劇の舞台の、そのBGM音楽の制作もさせて頂いている。
そのときも、場合によっては、まだ見ぬ舞台の完成の絵的なイメージから、音を作り始めることが多々ある。
或いは、台本の台詞の言葉端から、その声色をイメージして、その声色に対して、音を探していることもある。
いずれにせよ、音や絵、言葉などは、わたしのなかでは、つながりを感じる部分も少なくない。
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それでも、自作自演で、すべてを作・トーマスにしたくないのは、トーマスさんの世界観で完結した世界など、わたし個人は、つまらないと思っているし、そういう世界を見たいわけではない、とわたしが兼ねてより考えているから。
小説の世界をトーマスの世界観で完結させたとしても、そこに広がる絵的なイメージや音の世界までトーマスの世界にすることには、あまり興味がない。
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そこは、誰かのグラフィックや、誰かのソングライトが、トーマスとは異なる世界を広げてほしい、と思っている。
自分の小説を読んだとき、誰かの、その人の思う絵が浮かんできたら素敵だし、その人それぞれの思う音が流れていたら素敵だな、と思っている。
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綺麗事のような話で締めることになりそうで、ちょっと後味はよくないけど。
何よりも、それよりも、執筆することがわたしは好きだし、それは、或いは、このnoteの文章を書くことも、最高に好きなのである。
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多分、他のメディアと同じように、noteの文体は、noteに特化していて、わたしもそこに乗っかっているかもしれない。
Facebookの文体やInstagramの文体には、あまり親しくしていないから、このnoteくらいは、親しみやすいコンテンツにできたら、とそう思いながら。
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また、あと少し、今夜の執筆を仕上げて、休むことにする。
それでは、また風の吹く夜に。
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