情報展開過程;個と普遍の弁証法過程
神学的世界観・人間観のための分子担体、電子担体〜特別ゲスト:谷口茂さん(@thomasaqinas2000さん)③ (youtube.com)
「受肉=人となられた神」というテーマは、「その人、一人一人の身になって、共に苦しみ慈しまれた」ということを表現しています。「個」という現実には、優生学を生んだ統計学の標準正規分布を見て、共通性や優れた値を抽象するという態度では、向かい合うことが出来ないと思います(優生思想とその批判 : 問題の普遍性 名大リポジトリ)。一人一人の私という個は、まさに宇宙における私の主観意識の「特異点」。
しかし、その私が存在(現実態エネルゲイア=エネルギー)を与えられた宇宙・世界の普遍性、全体性にとっては、確かに無限とも思えるほど小さな点。普遍を探求する普遍知性の作用には、小さな部分として参加するのみ。 この「個と普遍」の営みは、対立するものではなく、部分と全体との「精緻な弁証法過程」(P.リクール)に位置付けられ合一・止揚されるものと思います(「説明と了解―科学と神学―」note)。現在の効果的利他主義と加速主義の立場も、同様だと思います。
トマスは中世において、この過程を信仰と理性との関係に眺め、当時に関係おける止揚を果したと思います。今、こうした正—反―合(止揚)の弁証法過程(これを宇宙の情報展開過程が進展している)が、AI研究によって大きく普遍の側に振れ出してきたので、主観意識研究も進めて個の側にも振れるようにし、止揚の高みを目指すことが重要だろうと思います。