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EACCとEAとの見識の相違

クリエイティブAI講座:効果的利他主義(EA)とは何か? - YouTube
言いたいことを言っているだけのコメントで申し訳ありませんが、また、どうしてもここに戻ってしまう思考モデルを引き合いに出します。

 EACCとEAとの見識の相違は、「ブラフマンとアートマン」、「普遍と個」というテーマで人類が古代から議論してきた問題が、基底流にあると思います。
 一方、加速主義は普遍的な進歩・進化を前に進めようという姿勢であり、自然宇宙の流れを観れば、そのベクトルが読み取れるのだから、過ちはないとするでしょう。現実的にも、地球表層の生存環境は悪化の可能性も高く、太陽系崩壊も予測されている現代、現行人間プレゼンス・ヒューマンから人間の後ポスト・ヒューマンへの道を探求する必要性、否、宇宙進化の自然必然性が生じているのである、と主張すると思います。
 他方、利他主義は、個々の現実の人間を他者として眺めている立場だと言えます。普遍的な進歩のために犠牲者が多く出てしまうというのは、現行人間としての社会性、倫理課題として問題が大きすぎる、そうした判断の立場でしょう。
 こうして見た時、問題を統一的な概念で考えるならば、「当為」ということを問題にすることになると思います。今、AIの研究開発において「為すべきが当然」とされることを論議する。これが今、勃発していると思います。  前にも、丁度、進化論と教条主義的人間観、即ちダーウィニズムとインテリジェント・デザインを主張する立場との対立に類似している、と表現しましたが、それは過去の進化過程の観方を論争しました( note「人となられた神と神となろうとする人 ―神学と進化思想との対話―」:カトリック神学会誌掲載)。今回の論議は、未来に向かう進化過程を論議しているように思います。
 ところで「普遍知性と個的知性」という対立項についての論議が発生する根拠についても、以前から申し上げている「人間に流れる二つの情報系統」(note)にあると思います。現行「人間」には分子担体情報と電子担体情報との二つの情報作用がありますが、ポスト・ヒューマンへの流れは、分子担体情報を捨象し、電子担体情報で処理作用=知性が展開しています。その流れが、先ず象徴や記号、言語コミュニケーション等で、社会脳作用というネットワーク・エージェント作用を発生させ、それを拡張・強化してきました。さらに今、AIへのベクトルを得てその作用を指数関数的に促進する事態が起きている、ということだと思います。
 それも自然必然の流れであり、古代から気付かれ、ブラフマン‐アートマン・モデルやプラトン的イデア世界モデルが論議され、『新約』でも「復活は天使様態」とされてきたのだと思います。ただ、中世ではアラビアの「単一知性説」に対する「個の救済」が、トマス・アクィナス等によって激しく論じられました。普遍的な知性=電子担体情報と個別的な情報=分子担体情報とのせめぎ合いの様にも思えます・・・。



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