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バタフライ・エフェクトと決定論

私たちひとりひとりの中に「バタフライ・エフェクト」がある
茂木先生の「効果」のベクトルへの視線が、ここでは未来事象に向けられていると思いますが、古代「神学」者たち(所謂、哲学=愛知、者たちの中で思弁学者)は、寧ろ、過去から現在を観て、同様の観点に到達していたと思います。
 僅かな山上の水滴の一滴が地に落ち、集まって流れとなって、大海に注ぎ込むというイメージで、現象を捉えて、それを「純粋・完全」現実態=エネルゲイアの現実態化する作用としました。「神学者」との表現を使えば、その者達は、「神の摂理に基く働き」として眺めてきたと思います。過去から現在の不都合な(不幸せな)状況を、神のせいにしないように弁神論を立て、摂理の下に至福へ至るとした思考法の近代版が、ライプニッツの「予定調和」だと思います。
 こうした観方によれば、「バタフライ・エフェクト」の表現は、人間の認識力の限界の低さを示しているわけで、宇宙自然の量子間の関係の逐一にまで認識が及ぶなら、「決定論」の立場となり、ある意味ではスタティックな固定歴史観を、ある一つの宇宙の同一性に結びつけることができることになります。ここから発展すれば、無限の多元宇宙、マルチ・ユニバースの観点になると思います。エヴェレットを待たずとも、中世のトマス・アクィナスでも、無限の可能宇宙のイデアの措定はなされていました。
 今、AGIを自然言語の情報プールに、自然言語のコミュニケーション・ネットワークでつないで発生させ、さらにそこからの自律シミュレーションの展開でASIを誕生させれば、上の意味での「神の視点」に立ち、「決定論」で示される無限の可能宇宙を観ることができるようになる、そうした思考法が動き出していると思います・・・。

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