「一般学生委員会」 der AStA(デア アスタ)

 der AStAとは、定冠詞derが付いているので、男性名詞のように見えるし、実際、独自の複数形があり、die ASten(ないし、die AStAs)と書く。しかし、この単語は、本来は、日本人同様、ドイツ人も好きな略語である。正式な名称を書くと、der Allgemeine Studierendenausschuss(デア アルゲマイネ シュトゥディーrレンデン・アオスシュス)である。allgemeine(「一般的」の意)は、形容詞であるが、AStAが殆んど固有名詞化しているので、最初を大文字で書いている。AStAのAは、この「Allgemeine」から来ている。

 一方、AStAの最後のA字は、Ausschussという男性名詞から来ている。schという綴り字はドイツ語に特徴的なもので、発音も、「シャ・シュ・ショ」と発音する。単語の頭の「aus」とは、本来は前置詞で、「~から」の意味を持つ。故に、「aus Japan アオス ヤーパン」と言えば、「日本から」と言う意味である。尚、au字は、「アウ」ではなく、「アオ」と発音した方が原語に近くなる。der Ausschussをここでは、取り敢えず、「委員会」と訳してあるが、「委員会」とは、どこかの母体から出てきて作られた組織を意味する。例えば、国会内に作られる財政委員会なども、それ故、Ausschussというのである。では、このAStAは、何を母体として作られるのであろうか。このことについては、後で述べることにしよう。

 それでは、複合名詞である「Studierendenausschuss」の前半を形成する言葉「Studierende」について説明する。これは、studierenという動詞から派生したものであり、日本語の「~ている形」を作る時と同じように、studierenにd字を付けると、「学ぶ」が「学んでいる」となるのである。これをさらに頭のs字を大文字化し、対応する定冠詞とそれに適合する語尾変化を付けると、「学んでいる者」となる。der Studierendeは、「男子学生」、die Studierendeが女子学生、die Studierendenが、「学生達」である。上の「Studierendenausschuss」の「Studierenden」は、実は、複数形であり、また、複合語を作るためにも必要な語尾変化である。

 さて、ドイツは、ジェンダー平等論が盛んである。昔は、「Studierendenausschuss」は、「Studentenausschuss」といっていた。Studentenとは、Studentの複数形であり、意味は、「男子学生」である。このStudentの女性形は、Studentinであり、その複数形は、Studentinnenである。つまり、「Studentenausschuss」では、女子学生が含まれていないことになり、それでは、男女不平等である。そこで、一つの綴り字で両性を言える可能性がないかと、ドイツでは、ここ数十年以上、色々と試みがなされてきたのである。

 最初は、StudentInnenという、中にIの大文字を入れることがなされた。最近では、Student*innenという風に、「*」の星印を入れるようになってきている。この文脈で使われる「*」は、「ジェンダー星印」と呼ばれており、口頭で言う時には、ここで一息入れてから、「-イネン」と続けるのである。つまり、「シュトゥデント_イネン」と言うのである。と言うのは、これを続けて、「シュトゥデンティネン」と発音してしまっては、「Studentinnen」となり、これでは、「女子学生達」になってしまうからである。

 いつもは、このように「面倒な」ことをしないといけないのであるが、Studentの場合、元々ラテン語から来ているstudierenという動詞があり、それに、上述のような「処理」を施せば、「学生諸君」の意味となるStudierendeが出来上がる。このような「天才的」なアイディアが生まれて、それ以来は、「Studierendenausschuss」が、より多く使われるようになったのである。言葉とは、その言葉を使っている人間の意識を反映するものなのである。逆に言うと、言葉とは、人間の意識を規定するものであり、人間は、自分が話している言葉に自分の意識が規定されていないか、疑ってみる必要があるということである。

 それでは、なぜに「一般学生委員会」と「一般」なのであろう。これには、実は、ドイツの学生団体の歴史を少し顧みる必要がある。ただ、そのためには、本来なら、ヨーロッパの歴史の中で生まれ、成長してきた「大学」という組織、とりわけ、日本人が知らない「大学の自治」という事柄を述べてからでないといけないのではあるが、これについては、本稿は、それを語る場ではないので、まずは、ドイツでの学生団体の歴史を、とりわけ、19世紀以降について簡単に述べておく。

 それは、1789年に勃発したフランス大革命の「子」ナポレオンが、1800年代、それまでのドイツ領邦諸国の秩序を破壊した後のことである。ナポレオンの権力が衰退する1813年前後には、ドイツでも近代国家建設への願望が強まってくる。この機運を受けて、それまで学生団がその出身領邦別に組織されていたものを「改革」し、統一されたドイツ国家の理想を反映するような、超領邦的学生団体の結成が唱えられる。1815年のウィーン会議後の反動的なウィーン体制の中、このような自由主義的な学生運動は抑圧されるが、1830年の「七月革命」を機に、学生間の身分的差別や後輩学生へのいじめの廃止、大学内裁判権の抑制を求めて、第二の「進歩的」改革運動が盛り上がった。1871年にドイツの国家統一が達成された後は、19世紀末の「青年運動」の煽りを受けて、第三の改革運動「自由学生団」が起こり、この運動の中で、身分や出身地の違いを越えた、学生「一般」を代表する学生団体の結成が呼び掛けられたのである。この運動の延長線上に、現在のAStA(「一般学生委員会」)の存立があることになる。

 という訳で、der AStAとは、日本語で言えば、「学生自治会」に相当する言葉であると言える。それでは、AusschussであるAStAとは、上述した疑問、何を母体として、そこから生まれるのであろうか。また、どれだけ、ドイツの大学において、AStAは、学生の自治に関わっているのであろうか。

 まず、教育機関は州の管轄であるので、ドイツの大学は、数少ない私立大学を除いて、州立大学である。それぞれの州には州憲法があり、それぞれの州において大学関連法があるのである。そして、学生の自治という点では、それぞれの州立大学には、毎年選挙で選ばれる「学生議会」が存在する。基本的に比例代表制のリストで選ばれた学生議員で、学生議会は構成され、この議会が母体となって、AStAが形成されるのである。三権分立の観点から言うと、司法権は学生側にはないとして、残りの二権、立法権と行政権で言うと、国会に当たるのが、「学生議会」であるとすると、AStAは、行政権を担う組織ということになる。それ故、それは単なる「委員会」ではなく、執行権を持った「学生政府」であることになる。

 「政府」であるから、政府を構成するのは、各大臣である。故に、AStA内には、部署ごとに、いわば「大臣」がおり、その「大臣」の下に、各担当部局Referateレフェrラーテが存在する訳である。財務、大学政策、福祉(奨学金やアルバイトなども)、文化(例えば、映画自主上映)、スポーツなどを担当する担当部局が、その代表的なReferateレフェrラーテの例である。この他にも、学生議会からの認証に拠らない「自立的Referate」もあり、これらは、とりわけ、女子学生、子供がいる学生、LGBTQIなどの学生、障害のある学生等々、少数者の利益を代表すべきものとして存在している。また、AStAは、法人として、対外交渉権も保持しており、とりわけ、地元の公共交通機関と交渉して、割引された学生通学定期券を確保している。

 それでは、大学の組織内でのAStAの位置付けはどうなっているであろうか。そのためには、一応、ドイツの大学の組織が一般的にどのようなものであるか、知っておく必要がある。そのためには、詳しくは、筆者が2021年9月8日に投稿した「(大学)元老院」の文章を読んでほしいのであるが、その内容を簡単にまとめると、以下のようになる:

  • 一番上に学長(der Rektorデア rレクトーア、或いは、die Rektorinディー rレクトーリン)

  • それぞれに分担分野を持つ数人の副学長と事務局長

  • 以上が「学長局(das Rektoratダス・rレクトrラート)」を構成し、事務局長の下に大学事務局が入る。

  • 「大学協議会」:学内外の協議会員によって構成され、大学経営の戦略を練る。

  • der Senatデア ゼナート(本来は「元老院」の意):学部から上がってくる学部長達と学長局を構成する面々が「der Senat」の大方を占めるが、これに、全学の選挙で選ばれた、いわば職能グループ代表(教授・助教授レベルの大学教員、研究員・教授職以外の教職員、事務・作業員、学生、博士課程履修者のそれぞれの代表)が加わる。

このSenat内に位置する学生代表にどれだけの発言権があるかは別としても、この学生代表にAStAと「学生議会」議長が関わるケースが多く、こうして、少なくとも制度的には、「下からの大学の自治」が確保されているのである。

 さらに、学部レベルでも、学部長、副学部長、「学部長局」(das Dekanatダス・デカナート)ならびに学部協議会があり、この学部協議会にも選挙で学生代表が選出される。こうして、学部レベルでも、学生の「声」が反映される可能性があり、これを補佐する形で、各学科内で選挙された「学科学生会」が、学科内の学生の日常生活の問題点を汲み取る役目を演じている。 

 教授連がやはり大きな力を持っており、また、「学生議会」への投票率の低さなど、学生が下から関わる「大学の自治」にも、内実的な限界があるにはあるが、ドイツの州立大学には、学科学生会、学生議会、AStAなどの、学生による自治の制度的可能性が存在するのである。そして、このことは、1968年以降の(ドイツでは、実は、1967年以降の)学生運動が勝ち取った「賜物」であることも知っておくべきであろう。

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