「字母読み上げ板」 die Buchstabiertafel(ディー ブーフシュタビーア・ターフェル)

  まずは、die Tafelから説明しよう。この言葉は、女性名詞で、黒板、食事が並んだ食卓など、色々な意味を持つが、さらには、「板(板状のもの)」、その上に書かれた告知も含めると、「告知板」、それがよく整理された書かれてあれば、「掲示表」とも訳せる。ここでは、文脈上、最終的に「表」ということにしよう。

 それでは、「Buchstabier-」の部分である。まずは、これは、buchstabierenという動詞から来ている。例えば、Studiumシュトゥーディウムとは、「(大学での)勉学」であるが、これから動詞が作れるのである。ラテン語系統の言葉によく見られる現象である。つまり、Studiumに-ierenを付けて、studierenとすると、「(大学で)勉学する」となる訳(わけ)である。

 ゆえに、Buchstabeに-ierenを付けて、buchstabierenとなり、これを、題字の直訳で、「読み上げ」としてるのも、このbuchstabierenの動詞から来ている訳で、ここには日本語の動詞を連用形にして複合語を作るのと同じ現象が見られる。しかも、これは、複合語に動作的なものを含めたい時の方法である。例えば、Lesehilfeレーゼ・ヒルフェのLese-は、lesen(「読む」)という動詞から来ており、であるから、動作的なものを込めて、「読む時のための補助」がLesehilfeとなるのである。

 では、Buchstabeとは何か。まずは、この言葉は、男性名詞で、der Buchstabeである。語尾が -e で終わっていると、普通は、女性名詞なのであるが、これは、男性名詞であり、「~を」とこの名詞を使う時には、Buchstabenなどと特別の語尾変化をする「面白い」名詞である。

 この名詞の字面をよく眺めていると、これは、ひょっとして、das Buch(「本」)と、 der Stab(「棒、杖」)のコンビネーションではないかと思えるのであるが、この類推は正解で、中世高地ドイツ語から生まれたこの言葉は、「本の棒」、「本の中の棒状のもの」、つまり、文字、アルファベットの字母を意味する。という訳で、表題のように訳したのである。そして、まだアルファベット文字を習いたての幼児が、本を手にして、分かるアルファベット文字をゆっくり一字ずつ読み上げる行為をbuchstabierenブーフシュタビーrレンというのである。Buch-の「-ch-」の音は、喉の奥で空気をこすらせるように発音するのがミソである。

 以上、die Buchstabiertafelとは、アルファベット字母を読み上げるための表(日本で言う「通話表」)のことを言うのであるが、それでは、このような表は、どんな時に必要であるか。例えば、商用で電話を掛けた先に、どなたですかと聞かれて、自分は「マイヤー」であると名乗ろうとしよう。「マイヤー」には、Mayer、Maier、Meyerと色々な書き方がある。それで、アルファベット文字をbuchstabierenしなければならなくなる。頭文字のM字、語尾の-erは、いいとして、とりわけ、i字とe字をはっきり音声上区別しなければならない。その時、つい最近までは、Ida(イーダ)のI、Emil(エーミール)のEと、会社の電話口で言っていたのである。

 Idaは女性名、Emilは男性名で、このように、これまでのBuchstabiertafelには、主に名前が使われていたのであるが、ジェンダー平等の機運が高まる中、26文字アルファベット字母中、16字母が男性名、6字母が女性名(その内のX字には、ソクラテスの「悪妻」で名高いXanthippeクサンティッペ)では、いくら何でも不公平が酷すぎるという批判が高まり、この度、来る6月から改正されたBuchstabiertafelが、民間の会社事務部門で使われることが望ましいものとなった。官庁、警察、軍事、救急並びに航空部門はこの限りではない。

 この改正には、さらにもう一つ理由があり、1903年に初めて名前を使用することで決められたBuchstabiertafelを、1934年にナチス政権がその一部を変え、ナチスの反ユダヤ主義から、とりわけ旧約聖書からのユダヤ系の名前を表から排除して、入れ替えたのであったが、それが、1948/50年に再改訂した際に、ナチス時代の変更を一部そのまま残した経緯があった。例えば、Davidの替わりにDora、Nathanの替わりにNordpol(ノrルト・ポール:北極)という具合である。未だにナチスの反ユダヤ主義の片鱗がこんなところにも残しているのは遺憾であるという訳である。

 以上の理由により、DIN(ドイツ産業ノルム;日本のJISに当たる)が、2021年7月に草案を出した。今度は、名前の頭文字から地名の頭文字に変えようというのである。それで、直ぐ思い浮かぶのが、従来からあるナンバープレートを利用しようという考えである。

 ドイツのナンバープレートは、一番左に登録したナンバープレートを発行する官庁がある地名が書いてある。その次は、アルファベット文字の組み合わせ、さらに、いくつかの数字の組み合わせという構成になっている。地名の略字は、大きい都市が1文字、郡などのレベルで自治体の大きさが小さくなるに従って、2文字、3文字まで文字数が増えるが、最高3文字までとなる。

 こうして、とりわけ1文字の都市名からほぼ機械的に決めていき、今までBuchstabiertafelにあったCh字、Sch字も地名から採り、Y字とドイツ語の特殊な文字ßは、伝統的に「イプシロン」と「エスツェット」と文字名で呼び、今までÄ字、Ö字、Ü字にもそれぞれに対応する名詞を付けていたものを、Umlaut(ウムラウト:変音)A、O、Uと簡略化した。(因みに、ナンバープレートのY字は、連邦防衛軍の車両に付けられる。)

 この草案に一般公募で改善案を募ったところ、この程、草案の改訂版が22年5月に出され、この度、決定版としてこの6月から、任意であるが、新しく通用することになるDIN 5009、2022年6月版「通話表」となった。このBuchstabiertafelでは、Ch字、Sch字もカットされて、切りよく30文字となった。また、草案では、ドイツ西部のザールラント州他、合計で5州からの地名が一つも入っていなかったものを、全16州にほぼ万遍に、また、旧DDRの東の5州にも旧西ドイツと同じような比重が掛かるように調整したと言う。

  2022年6月版「通話表」を一読して、ドイツ通の筆者でも、「えっ、ここはどこ?」という地名が二つあった。Quickborn(クヴィックボrルン)とSalzwedel(ザルツヴェーデル)である。

 Quickbornは、北ドイツ・シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州南部にある、人口約2万2千人の町である。Salzwedelは、旧東ドイツの北部ザクセン=アンハルト州にある、人口約2万3千人の町である。両町とも2万台の人口で、新「通話表」に今回挙がったことは、そこの住民にとっては、全国レベルの宣伝キャンペーンが張られたと言っても過言ではなく、大喜びのことであるに違いないであろう。

 さて、我々日本人にとって、ドイツ語の発音でとりわけ難しいアルファベット文母とそれに対応する地名を挙げて、今回の投稿を終わろうと思う:

E:Essen(エセン:両唇を出来るだけ左右に張って発音する)

I:Ingelheim(インゲルハイム:E程ではないが、両唇をいくらか張って発音する)

R:Rostock(rロストック:R音は、出来れば喉ひこを震わせて発音したい)

L:Leipzig(ライプツィヒ:R音と混同しないで、しっかり舌先を上の前歯の歯茎に付けて発音する)

U:Unna(ウナ:U音は、母音の中で一番発音の難しいものである。しっかり両唇を丸めてキスをするように発音する)

以上である。

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