(36)ニコンのOPTIAを活用する ━━ レンズの味を決める
OPTIAってなんだ?
解像力などの結像描写性能ではなく「レンズの味」つまり「ぼけ味」や「立体感、奥行き感」などの描写再現性能は、感覚的で情緒的な評価しかできなかった。定量化して客観的データにすることが難しかった。ところが、それらレンズ描写の「味」を定量測定して、検証ができる「OPTIA(オプティア)」と専用の画像シミュレーター(ソフトウエア)が開発された。と、ニコンが発表したのは10年ほど前のこと。ミラーレスデジタルカメラが広く普及する前の、まだデジタル一眼レフカメラが全盛だった2013年9月ごろである。
OPTIAとは「Optical Performance and Total lmage Analyzer」の略称。ニコンの半導体露光装置(ステッパー)用に開発された収差計測の手法を応用し、それを改良して作られた。
さまざまな種類の収差をOPTIAと専用ソフトウエアを使って解析することで、結像性能以外の、いわゆる「レンズの味」 ━━ 質感描写、奥行き感、ぽけ味など ━━ と収差の関連性を明らかにし、それを新しいレンズの設計に応用しようというものだ。
従来の収差測定器では、ひとつの収差しか計測できなかったがOPTIAを使うことで複数の収差を同時に計測し、それを定量化(データ化)することが可能になったという。長年の経験と勘(官能評価)に頼っていた「レンズの味」の見極めがOPTIAを使うことで容易に、かつ確実になったとニコンはいう。
OPTIAシステムが発表された直後に、その開発にかかわり実際に活用を始めていたニコンのレンズ設計者に「OPTIAっていったいなに?」「OPTIAでなにができるの?」「レンズの味って、いったいどんなもの?」というテーマでたくさんの話を聞かせてもらった。
以下はその時のインタビューをまとめたものだ(文責は田中)。
《 ここで「余計なひと言」を少しだけ 》
先に述べたようにOPTIAと専用ソフトが開発されたのは約10年ほど前のフィルムカメラのころ。現在では(おそらく)デジタルカメラ向けにさらに改良が進み、実際のレンズ開発にどしどし活用されていると思われるのだが、しかしニコンからOPTIAなどについての情報や活用例などの話がほとんど出てこない(なくはないのだけど、約10年前の話とほぼ同じか、それ以下)。OPTIAについての情報不足。
さらに、約10年前にニコンの技術者に話を聞いたときも、アレも言えない、コレも言えない、といったことが多くあって、OPTIAがやっていることのいちばん知りたいところが曖昧なままだった。とにかく今も昔も、OPTIAについては秘密のベールに包まれた感がある。
でも、このOPTIA、(シロートの)私の印象で言えば〝画期的な検査装置〟だと考えている。上手に使いこなせば、これからのニコンのレンズは他社にない結像性能にも官能性能にも優れたバランスの良いレンズがつぎつぎと出てくるに違いない。
と、そう期待をしたのだが、ところが、さすがニコンはOPTIAをウマく使いこなしているなあ、と思われるようなレンズが(私が見落としているのかもしれないけど)出てきているような気配がない。
とは言うものの、OPTIAのシステムは「いいレンズ」のための素晴らしいツールであることに間違いはないと思う。大きな可能性を秘めているに違いない。しかしながら、想像するにその使いこなしが難しいようで、ニコンはまだ試行錯誤しているところではないだろうか。
ということを少し踏まえていただいた上で、本文をお読み頂けるとウレシイ。
波面収差ってなんだ?
OPTIAはレンズの収差などを測定する器機そのもので、画像シミュレーター(専用ソフト)のほうはOPTIAで得られたデータを解析する専用ソフトウエア。これを活用することで仮想的にレンズ光学設計をして、どのような画像に仕上がるかを予測し検証できるらしい。
OPTIAの基本的な原理は、波面(はめん)収差を測定することで複数の収差の様子が同時に調べられるという。言い換えれば、OPTIAは波面収差測定器、と言ってもいいだろう。
ニコンの技術者の説明によると、収差のない理想のレンズの波面形状はきれいな球面波になる。しかし実際のレンズでは収差や回折現象のため、そのレンズを通過した光の波面は収差や製造時での誤差などにより波面に乱れが起こる。きれいな球面波にならない。理想レンズの球面波から乱れた波面が波面収差、OPTIAはその波面のずれを測定しているという。
ニコンの光学設計者は「例えば病気になって病院に行ったときに、聴診器で診断するとか、せいぜいⅩ線装置で検査していたのが従来の収差測定器だとすると、OPTIAはいきなりCTスキャンをするようなもの。非常に細かな部分の情報もわかってしまう」と説明をしていた。
たとえば、試作段階のレンズをOPTIAシステムを使って測定すると、設計値とのずれや収差の様子、小さな不具合なども具体的にわかるという。
ただしOPTIAは収差や回折現象は測定できるがフレア/ゴーストの測定はできず、それをチェックするためには別の装置を使用するようだ。
専用ソフトウエアである画像シミュレーターってなんだ?
つぎに、OPTIAの測定データを活用する画像シミュレーターの話。
イメージセンサーに写った像がカメラ内で画像処理され、最終的にどういう画像になるか擬似的に作り出すのが画像シミュレーターであるという。OPTIAが取得したデータから画像を作り出す。そのレンズで撮影して、その描写の様子を予測し検証できるのだそうだ。
このような画像シミュレーターはだいぶ前からあって、ニコンだけではなく他の主要なメーカーもレンズ設計の段階で活用している。
レンズの光学設計の途中で、その設計データを画像シミュレーターに入力すると実際にレンズを試作しなくても最終的にはこんな写りになるということがだいたいわかる。それを見れば収差や歪曲の影響で画面中心部や周辺部の画像はどのようになるか、そんなことが設計段階でわかる。そのシミュレーション結果を見ながら手直しするなど、設計の初期段階で対応できる。OPTIAと専用の画像シミュレーターはそれら既存の測定器よりも大幅に進化したもの、と考えればよいだろう。
たとえば、名レンズと評判の高かった古典的なレンズをOPTIAで測定して、そのデータを専用の画像シミュレーターにかければ、そのレンズでさまざまなシーンで写したかのようなこともわかってくるという。
ただし、その名レンズの設計データがわかっているという条件付きだそうで、他社製のレンズでは設計データが得られないため詳しくはわからないという。ところがニコンには古いレンズであっても設計データは残っているのでその点は問題はないようだ。
OPTIAはどんなところに活用されてるのだろうか?
OPTIAで得た名レンズのデータを元にして、光学設計の段階で最適に調整し、修正して画像シミュレーターにかける。それを繰り返すことで、かっての名レンズを現代風にアレンジした新レンズ設計もできるらしい。
OPTIAを使えば測定した結果がデータとして出てくる。そのデータを見れば、この収差構造の場合には、こういう画像に仕上がるのか、とか、ぼけ味はどのようになるのか、ということがわかるという。
いわゆる往年の名レンズといわれるレンズの味わいを、現代のデジタルの画像に転換したらどのように写るのか、それは良い描写となるのか、悪くなるのかも事前にわかる。もし、良いところがあれば良い部分だけ取り込んで設計したら、どのようなレンズに仕上がるのか。そうした検討、事前チェックがOPTIAを通してできる。
OPTIAの効用は「レンズの味」が具体的にわかるだけではなく、収差の構造自体をさらに厳密に見直すこともできるし、さらに、新しく設計するレンズにそれが生かせる。
ニコンは実際に何本かの似たスペックのレンズをOPTIAを使って測定したという。たとえば一眼レフカメラ用の85mmレンズの中で「Ai AF Nikkor 85mmF1.4 D IF(1995年12月発売)」は評判が良くてボケ味も良いと評価が高い。今でも愛用している人も多い。なぜ評価が高く愛用者が多いのか、OPTIAで測定してみてその理由を再認識したという。
そして、同時に「AF-S NIKKOR 85mmF1.4 G(2010年9月発売)」についてもOPTIAで測定した。2本のレンズをOPTIAと画像シミュレーターで検証したところ、測定した収差構造から、新85mmF1.4Gレンズにはない旧85mmF1.4Dレンズの「良さ」が理解できたという。
旧85mmF1.4Dレンズよりも新85mmF1.4Gレンズのほうがシャープネスは高く、後ろボケのボケ味が良かった。ところが、旧85mmF1.4Dレンズにはピントの合っているところの、何ともいえぬ柔らかさや前ボケの良さがあることがOPTIAの測定データからも再確認できたという。
そうした検証結果ののち、OPTIAと画像シミュレーターを利用して設計し製造された初めてのレンズが2013年10月発売の「AF-S NIKKOR 58mm F1.4 G」だった。
ところが、その(写真・5)のAF-S58mmGレンズは ━━ 以下、私の偏見かもしれないが ━━ 描写に強いクセがあり使いこなしの難しいレンズに仕上がっていた。柔らかなぼけ味があってポートレート撮影などに最適なレンズだなあと思われるのだが、中距離はいいのだけど無限遠距離の描写がシャープさに欠け解像力に乏しくなる印象だった。事実、多くのユーザーからも似たような評価があったようだ。
OPTIAと画像シミュレーターを初めて活用して設計したレンズであったため、まだまだOPTIAの「使いこなし」に未熟な点があったのではないだろうか。
ニコンはこの58mmGレンズの評価を教訓にして、その後に開発されるレンズはもっとじょうずにOPTIAを使いこなして、誰からも文句を言われない結像性能も官能性能にも優れたレンズを開発していくに違いないと期待をしている(冒頭でも似たことを述べたけど)。
レンズにとって、結像性能と官能性能ってなんだ?
OPTIAを活用することで、今までは経験とか勘でしか認識できなかったようなことが、客観的な数値としてはっきりとわかるようになった。それはニコンにとって大きな収穫だろう。
往年の名レンズといわれるレンズの味わいを、現代のデジタル画像に転換したらどのように写るのか、それは良い結果をもたらすのか悪い結果になるのか、それもわかるらしい。もし、良いところがあれば良い部分だけ取り込んで設計したら、どのようなレンズに仕上がるのか。そういう予測がOPTIAを活用することで可能になったという。
レンズの評価軸は大別すると2つの軸がある。ひとつは結像性能で、これは解像力だとかコントラストを重視した描写性能。もうひとつが官能性能。ぼけ味だとか透明感、立体感などの感覚的な描写性能。
勘だとか経験といった主観的なものでしか判断できなかった官能性能が、OPTIAを使うことで客観的なデータ情報としてある程度だがわかるわようになった。収差をうまく利用しコントロールしていくことで結像性能も上げられるし、感応性能も上げられるという。
いっぽうで、レンズ設計の基本は、収差のない理想のレンズをめざして努力をすることだ、という考え方もある。結像性能最優先。「それがレンズ設計者のいちばんの目標なのではないでしょうか」、とニコンの設計者に尋ねると「そうではないと思っています」と明快に答えた。もちろん官能性能も重視しているというのだ。
「実は顕微鏡や双眼鏡の設計は、無収差のレンズを第一の設計目標だと考えていたました。収差を完全に取り除かない設計方法は写真レンズだけだと思っていたのです。ところが、双眼鏡や顕微鏡の光学設計など撮影レンズ以外の光学機器にも、それ相応の収差の取り方、残し方というものがあるようだということをOPTIAを使うことで知りました」という。
光学レンズは無収差レンズにしてしまえばいい、っていうわけじやないということのようだ。
「レンズの味」ってなんだろうか?
結像性能、つまりピントが合った像面の描写性能だけを考えれば、点が点に写り、直線が歪まず写り、被写体像が相似形に写る、その性能は大切だ。しかし写真の場合、3次元のものを2次元に転換記録するものだし、結像点の前後も同時に写る。その結像点以外の描写性能をどう改善するのか、そこが大事ではないだろうか、今までのレンズ性能の評価基準ではそこがきちんとフォローされていなかったのではないだろうか、とその設計者は言う。
写真レンズを評価するときにはピント面だけを見ていてはだめ。ピントを合わせた手前も奥も、写っているので、そこも大事にしなければいけない。「ぼけ」の様子が大切だということだろう。
ピントが合った部分以外の描写の印象こそが、実はもっとも写真の良し悪しを左右する部分ではないかと思う。ボケ味についてもOPTIAの活用でかなりの部分が解明されてきているという。
ニコンがOPTIAを現在も、新しいミラーレス用レンズの設計にどれくらい活用しているのか、その最新の情報がないので不明だが、いささか心配なのはミラーレスカメラ時代になって結像性能ばかりが重視され偏重される傾向が強くなったような気もする。レンズ描写は官能性能よりも結像性能、収差はないのがイチバン、と言い切る人もいる。
しかし官能性能を無視して結像性能だけを追い求めるようなレンズは、確かに良く写るだろうけど「味」も「おもしろさ」もない。せっかくOPTIAのような優れた測定器があるのだから、ニコンだけに限ったことではないが、収差が残っていることの効果や意義を再認識して「レンズの味」にも重きを置いたレンズが出てくることを望みたい。
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以上、ここまで「レンズ性能向上の方法や技術」について10数回にわたってシリーズを続けてきた。そのシリーズはここでいったん終えて、次のシリーズでは「レンズが作られるまで」の過程や様子、光学レンズの製造、レンズ設計と製造組み立て、などなどを追っていきたいと思う。
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