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謝る強さ

昔働いていた職場に、ひとまわりくらい年下の
若くて活きのいい若い男の子がいた。

その子は、生意気だった。
そして、若さゆえの甘さも隙もあった。

そんなことも含めて、僕は彼が嫌いではなかった。



ある時、僕がやったことに対して、彼が文句を言ってきた。
相変わらず生意気な言い草だったが、彼の言ったことには一理あった。

相手が年上だろうがなんだろうが
間違っていることを間違ってると言ってくれることは、ありがたかった。

ただ、そんな風に思えたのは後になってから。

その時はカッっとなり、言い合いになってしまった。
その流れで、「そんなことは言わなくていいだろう」という一言を彼は言い放ち、僕は参ってしまった。



それからしばらくしてからのこと。
彼が僕のところにやってきて

「この前は言い過ぎた。ごめん。」

と、ぶっきらぼうに、それでも面と向かって、彼は謝ってきた。


参った。

その一言で、僕は彼に惚れしてしまった。


自分に非があることを自覚していたから、謝罪なんて求めていなかった。
彼には謝る必要はなかった。

それでも彼は、謝ってきた。

生きていると、言い過ぎたり、やり過ぎてしまったり
本意ではないにしろ誰かを傷つけてしまうことがある。

そんな時、自分に非があると分かっていても、プライドが邪魔して
面と向かって「ごめんなさい」ということは、なかなか難しいことだ。

だから僕は、雰囲気でなんとなく謝意を伝えて済まそうとしてきた。
僕自身、謝るということが、苦手だった。

でも、彼にああも素直に謝られてみて、
謝るということに対しての考えが、変わった。

謝ることで何かを失うわけではなく、得るものがあることを知った。

世の中を見渡せば、
「あの国の奴らが僕らの悪口を言ってるぞ」と戦いを煽るようなリーダーが多く、悲しくなってしまう。

そんな風に争いを起こすことで国をまとめようとするのではなく、争いを回避し平和を実現させるような人たちがリーダーになり、安心して住める世の中になるといい。そう願っている。

年上だろうが目上だろうが忖度することなく間違ったことは間違ってるときちんと伝え、人の悪口をいうのではなく自らを正し、間違ったことをしたと思ったら謝ることのできる器の大きな人に、リーダーになってもらいたいと思う。

そして自分自身も、そんな人であれたらいいなと思う。

そんなことを書きながら、まだ謝れていない人の顔が何人か思い浮かぶ終戦記念日。


平和が続き、広がりますように。

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