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"普通"という単純化は希望?

※今回の画像は、新宿にあるハンバーガーショップのサンドイッチです。シンプルめちゃくちゃ美味しかったのですが、何よりそのメンツで語った話が激アツで超楽しかったです。

どうもこすけです。今回は、「普通」という概念の使い道について超簡単にさらっと書き残したいと思います。

良い「普通」の使い方?

多様性の高まりとその受容を推奨する昨今の流れ。「普通」という言葉は御法度となっているように感じます。

「みんな違ってみんないい。」その言葉にどれだけの人が救われたのと同時に、どれだけの人が置き去りにされてしまったのかなと疑問に思います。

「どのような個性も受け入れるべきだ」「普通なんていう言葉を使うな」そのような正義を掲げる人が増えてきているのかな、と感じています。ですが、最近になって思うのは、「普通」という一般化されたものを表す概念によって救われる場合もあるのではないでしょうか。

自分の以前の記事でご紹介させていただきましたが、実際に視覚に障碍を持った人と遊ばせていただくと、今までの"頭では"わかっていたことが経験の中から強く理解できます。「まさに、「普通」なんだな。」そう感じました。

そういった「普通」という概念があることによって、「みんなと"同じ"になる」ことができる。そういった可能性が「普通」という言葉には秘められていると感じました。

悪い「普通」の使い方?

一方で、やはり「そんなこと、普通の人ならわかるでしょ」「普通ならそうするよ」と言った、相手に一般化を強制するような文脈でも用いられることがあるのではないでしょうか。そういった用い方は断じて間違っていると個人的には思っています。

そういった0からマイナスに落とすツールとしてではなく、何か自分が他の人とは違うことに対して違和感や悩みを抱えている人に対して「君は仲間外れではない。普通だよ」というような、逆にマイナスから0に持っていくために使える概念としてのツールになることが望ましいと思っています。(これが言いたかった)


やはり文字に起こすことは大切ですね。書きながら気づきましたが、「普通」という概念には

  • 0からマイナスに落とす使い方

  • マイナスから0に上げる使い方

の2種類があるのではないか、というまとめになりました。

「そんなのわかってたわ」という方、すみません。逆に「そんなことなくね?」というアイデアをお持ちの方も共に深めていきたいのでご連絡いただけると嬉しいです。

とまぁ、長々と書いてしまいましたが、「普通」という概念を使うことをパンドラの箱のようにしてはいけないのではないかな、という仲間との対話から生まれたnoteでした。お読みいただきありがとうございました。

ではまた5日後に👋

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