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"社会課題"?

※1 今回の画像は江古田駅にある美味しいパン屋さんで買った「あんちゃばたーパン」と「パテサンド」です。めちゃくちゃに美味しかったし、2人でアンチャバターを1つ買ったら、閉店のタイミングだったのもあってもう一個同じのをくれました...神!
※2 今回の記事は今までの記事の中でもとりわけ考えがまとまりきれていないです。なので、読んでくださった方々と是非ディスカッションをしたいです。

どうもこすけです。
(最近は自分の抽象力の低さと周りの凄さに悩む日々であります。)

今回でなんと10回目の連続投稿です㊗️ 細く長くが成功していますね。これからも頑張ります🔥 目指せ100投稿!

ではさっそく今回の本題ですが、よく言われる"社会課題"に関してです。割ともやもやしているので、メモ的に残す回として書いていこうかなと思います。


自分は誰かのためになるようなことが割と好きです(カッコつけてるわけでもないし、全然できていませんが)。なので割と、"ソーシャルグッド"と呼ばれることに関心を持ちがちです。そういったところに関心を向けていると、素敵なストーリーやモノ、場、ヒトで溢れていてとても心が温かくなります。

ですが最近、ふわふわとした疑問が一つあります。

「社会課題って何だろう?」「社会課題に向かっていく中でどういった世界にしたいのだろう?」

まずそもそもそれらを考えるにあたって、"社会"とは何かを考えてみたいと思います。Oxford Languagesによると

(人間が)集まって生活を営む、その集団
Oxford Languages

とあります。これを見ても思います。社会って結局は人間のことじゃね。

その時、社会課題というのは人間が"より良く"生きるための課題なのではないか、と思いました。それに則った時、社会課題を解決していく先にあるのは、より多くの人間が"より良く"生きている姿があります。

ですがここで疑問なのが
社会課題の先に、どのような世界・姿を描きたいのか。

「2030年の脱炭素化を目指す」というところが一つの目標であり、実現されるべき世界ではあるかもしれない一方で、その先にあるのはどういった未来なのか。

自分の理解力の浅さかもしれませんが、よく耳にする社会課題解決に向けた動きは、社会課題解決が一つの目的ではなく、手段になっているように感じます。そこにさらにSDGsというシールも貼り付ける。ブーム的に社会課題やSDGsというシールを貼り付けて色々と活動している人たち、声を上げている人たちを見てたまに疑問を抱きます。

ですが何をもって「正しい」のかなんてわかりませんし、その先に描きたい世界なんて僕にもまだありません。

まぁこんだけぐちゃぐちゃ書いといてあれですが、結局多くの活動されている方が、「目の前の誰かの課題解決」みたいなものに全力なのかなとは肌で感じます。大きいビジョンを掲げなくても少しでも世界を良くしたい。そういった方々もたくさんいると思いますし、すごい素敵だなって思います。それはあくまで手段の先に誰かが"より良くなる"姿を描いているので、ベクトルと大きさは違くても同じなのかな。だからこそ、目の前の誰かの課題解決に全力で取り組んでいきたい。今はそう思っています。

うまくまとまっていませんが、思考のモヤモヤの記録としてもこのような形で載せておこうと思います。

ではまた5日後に👋

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