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孔子学院~それはソフトパワーなのか、シャープパワーなのか

少し前に、北京五輪が中国のソフトパワー戦略の最初の大きな取組であったことを書きました。その北京五輪に続いて中国が取り組んだソフトパワー戦略が孔子学院です。北京五輪もいろいろと批判がありましたが、それは北京五輪そのものについてというより、むしろそれ以外の中国の人権問題などに対する批判でした。それに対して、孔子学院については、近年その活動そのものが批判と懸念の対象になっています。

世界に広がるネットワーク

01年にオリンピック招致レースに勝利を収めた中国は、次なるソフトパワー戦略として、世界における中国語・中国文化の普及の取組を始めました。そのための機関として、04年以降、中国は世界各地に「孔子学院」の開設を行っています。孔子学院は、中国語や中国文化についての講座を開設するほか、文化行事、講演会の開催や留学支援などを行っています。

孔子学院は、主として世界各国の大学内に設置されており、より若年層向けには、中学・高校レベルの「孔子課堂」が設置されています。04年のソウルにおける孔子学院開設以降、急速に世界展開を進め、現在では孔子学院500校以上、孔子課堂1000校以上が世界各地に開設されています。

規模の大小の違いはあれ、自国の文化を広めるための施設・ネットワークは各国とも組織しています。イギリスのブリティッシュ・カウンシル、フランスのアリアンス・フランセーズ、ドイツのゲーテ・インスティチュート、日本の国際交流基金などが挙げられます。その意味では、中国の孔子学院もそれと類似の趣旨の組織とみることもでき、そのネットワーク自体を一概に問題視することもできないと思います。

しかしながら、孔子学院については、その活動内容が多分に政治色を帯びているとの批判があります。

世界に広がる懸念

孔子学院では、人権、民主主義、チベット、ウィグル、台湾、香港など、中国政府にとって触れてほしくない内容は取り上げられないという指摘があります。このため、近年では、欧米諸国から「中国のプロパガンダ機関」「学問の自由の侵害」といった批判や懸念が上がっているのです。

このような懸念から、過去数年間に、アメリカ、カナダ、フランス、スウェーデンなどで一部の孔子学院が閉鎖されており、その後も、アメリカではますます批判が高まっています。

トランプ政権下の18年2月には、上院公聴会に出席したクリストファー・レイFBI長官が、孔子学院は中国に有利な中国観を吹き込むなどのプロパガンダ工作を行っているとし、孔子学院の活動を監視していると述べました。また、16年の米大統領選に出馬したマルコ・ルビオ上院議員をはじめ、何人かの議員は地元の大学等に設置されている孔子学院を閉鎖するよう求める活動を行っています。

ルビオ議員は、地元の大学等に送った書簡の中で、「孔子学院は『学術的なマルウェア』とも呼ばれている。この学院は、教育・学問の自由に対する反自由主義的な立場を明確にしている」と述べています。また、マッコール下院議員も地元の大学に書簡を送り、「孔子学院と他の中国政府が支援する中米交流基金会などの学術機関は、中国の政治的使命を広げ、学術的な議論を抑圧し、極めて重要な学術研究を盗むことを目的としている」と警鐘を鳴らしています。

孔子学院の政治的性格を裏付けるかのように、最近は孔子学院の「一帯一路」関連活動が増えていると指摘されています。本部から「一帯一路」の建設に貢献するようにとの指示が出されている模様であり、「一帯一路」関連のシンポジウムやフォーラムの開催が各地で続いています。

シャープパワーの脅威

この孔子学院の例を筆頭に、これまで「ソフトパワー」ととらえられていたものについて、「本当にソフトなのか?」という疑念が生じてきています。確かに、軍事力や経済力といった強制的ないし半強制的なハードパワーとは違うのですが、ストレートに文化や価値観を共有するアプローチではなく、隠密、歪み、攪乱、操作、浸透といったワードで特徴づけられるような影響力の行使であることが指摘されます。

17年12月、米国のシンクタンク/NPOである「全米民主主義基金(NED)」は、このような、ハードパワーでもソフトパワーでもない影響力の行使を「シャープパワー」と呼び、注目を集めました。その報告書では、次のとおり述べています。

「中国やロシアが行おうとしている、メディア、文化、シンクタンク、学会を通じた影響力行使は、ソフトパワーに共通の『魅惑攻勢』でも『ハートやマインドの獲得』でもない。この強権的影響力は、根本的に、魅力でも、また説得でさえもなく、むしろ、攪乱と操作が中心である。・・・この現象には、新たなボキャブラリーが必要である。これまで我々が強権的な『ソフトパワー』として理解してきたものは、『シャープパワー』としてカテゴライズした方がよい。それは、対象の国々の政治・情報環境を、貫き、浸透し、穴をあけるのだ。新たに進行している、強権的国家と民主的国家の間の競争において、抑圧的体制によるシャープパワーの技術は、彼らの短剣の剣先と見るべきであり、または正に注射器と見るべきなのだ。」(National Endowment for Democracy “Sharp Power: Rising Authoritarian Influence” 2017.12)

「ソフトパワー」は、相手を魅了し、共感させるものであり、決して相手を傷つけたりしない。しかし、「シャープパワー」は相手を傷つける剣先であり、さらには、傷つけた上で誤った情報、歪んだ理念を注入し、体内に毒を回すものであるとし、警戒を呼び掛けているのです。

孔子学院はソフトかシャープか

率直なところ、孔子学院が、当初からそのような歪んだ意図をもって設置されてきたのかは定かではありません。すでに述べたとり、自国文化の普及や政策広報のための機関は多くの国で組織されており、そのこと自体は特別ではありません。各国とも、わざわざ自国のイメージダウンにつながるような事業を行わないというのも、また事実です。

ソフトパワーの概念を提唱した政治学者ジョセフ・ナイは、次のとおり述べています。

「中国のプログラムがときにシャープパワーの領域に入り込むことがあるという理由で、そのソフトパワープログラムまで禁止するのは間違っている。だが、それだけにその境界線を慎重に見極めなければならない。・・・(孔子学院を)政府が支援しているからといって、それがシャープパワーの脅威であるとは限らない。同様に政府の支援を受けている英国放送協会(BBC)は信頼できるソフトパワーツールとしての独立性を確保している。孔子学院をシャープパワーの脅威として扱うとすれば、この組織が一線を超えて学問の自由を脅かそうとしたときに限定すべきだろう。」(ジョセフ・ナイ「民主国家が開放性を維持すべき理由――シャープパワーとソフトパワーの間」フォーリン・アフェアーズ・リポート2018no.3)

そういう意味では、孔子学院は全体としては「グレー」ということだと思います。孔子学院は、中国語の授業などについては偏りなく行っているでしょうし、実際に中国語の勉強をしたい人には役立っている面があると思います。中国語の勉強と割り切れば、歪みなどが生じることもないでしょう。その意味で、ストレートなソフトパワーを発揮していると言えます。

それでも、人権や民主主義、チベット、ウィグルなど、中国政府に都合の悪い内容には触れないなど、政治的な面の一部において授業内容に歪みが存在することは事実です。そこは、授業を受ける側で十分に注意が必要でしょう。また、人材交流プログラムにより、各国の政界・学術界等で有望な人材を中国に招聘し、中国の考え方をインプットしたり、ノウハウを移転させたりすることもあるでしょう(この関連では、孔子学院とは別に、中国政府は「千人計画」というプログラムを立ち上げており、これについても懸念が広がっています。これについては、またいつか取り上げたいと思います)。

ただ、孔子学院が、このようなグレーなところからさらに踏み込んで、学院の外で行われる活動にまで影響力を行使し、自由な議論を阻害している例が指摘されているのは看過できません。

09年にアメリカのノースカロライナ大学がダライ・ラマ14世を招待しようとした時、学内の孔子学院から「中国と培ってきた強力な関係」を害しかねないと警告されて中止に追い込まれました。また、14年にポルトガルで開かれた中国研究の学会では、ある孔子学院の責任者が台湾に関する資料に抗議したため、資料は回収され、学会のプログラムからも台湾関連のページが破り取られたといいます(NEWSWEEK日本版2018.7.17p27)。

このような例は、明らかに学問の自由を脅かすものであり、シャープパワーと捉えざるをえません。

アメリカ政府による管理の強化

20年8月、米国務省は米国内の孔子学院の本部である「孔子学院米国センター」を中国政府の宣伝活動を行う機関とみなし、管理を強化すると発表しました。大使館などと同様に、雇用状況や所有資産、カリキュラムなどの報告を求めることとしたのです。

さらに、同年9月、ポンペイオ国務長官(当時)はメディアのインタビューに答え、孔子学院について、「米国では年内に全て閉鎖されることを期待している」と述べました。その期待は現実のものとはなりませんでしたが、懸念はくすぶり続けています。

バイデン政権においては、これまでこの問題について目立った動きは出てきていませんが、中国に対しては超党派で懸念が広がっています。引き続き、強い姿勢でのぞむものと思われますが、どのように展開していくでしょうか? また動きがあった時に、取り上げたいと思います。



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