育児しながらの仕事。小1の壁
上の子年長、
下の子7か月。
会社に育休明けて復帰しました。
それはそれは、大変だった。
この頃、私は36歳くらい。
「子どもなんて一人も二人も一緒よ~」
なんて、誰がいったんだ?
と思うくらい、ダントツ二人目できてからの方が
仕事と育児と家事でしんどかったな。
1歳児の保育園は空きがない!
そうなんです。
本当は1歳になってから復帰したかった。
でも市役所で1歳児はどこも満室。
0歳児からなら入れる可能性がある。と言われました。
実際、上の子は4歳児クラスに入っているけど、
姉妹でさえ、1歳児は入れるか分からない。
姉妹だけで1歳児クラスが埋まる感じ。
だけど、ここに新規のお家の子が
入園の緊急性を要した場合、姉妹でも入れない。
会社は早く復帰して欲しい空気満載。
人手不足なのだ。
意を決して0歳児からの復帰。
正直どのくらい大変なのか想像もつかないまま、
えいやー!と復帰しました。笑
まずは母乳からの卒業がうまくいかない
7か月で0歳児クラスに入ることになり、
必死で卒乳を試みたけど、とにかくうまくいかなかった・・・。
一人目の時はすんなりいったのに。。。
なにもかも、二人目の方がしんどかった育児。
普通、一人目の方が大変やん???
なんで???
結局、育てやすいとか、育てにくいとかって、
子どもの持って生まれた性格も大きく関係してるということに気付きました。
同じように育ててるのに、こんなに違うものか・・・。
結局卒乳できないまま、仕事復帰になってしまい、
勤務中におっぱいがガチガチ・・・。
昼休みにトイレで母乳を絞るということが続き、
保育園からの帰り、抱っこ紐で抱っこするのが激痛なくらい、
毎日おっぱいガチガチでした。笑
夜泣きが酷い!
二人目は謎の夜泣きが酷かった・・・・。
あれはなんなんだろうか。
どうして寝ない?
一人目の時は寝るのが得意なとっても育てやすい子だった。
昼寝も勝手に布団までハイハイして寝てる。とか、
夜もベビーベッドに置いていたら、勝手に寝てた。とか
今思えば、一人目が奇跡だったのだろう。
ほぼ寝れないまま販売に立ち、忙しい日はいいのだけれど、
暇な時は立ったまま寝れそうなくらいの睡魔と
戦っておりました。。。。
まさに小1の壁にぶち当たる
同じ保育園に行ってる時は、まだ楽だった。
上の子、小1。
下の子保育園。
こうなった時が最悪でした。
「小1の壁」
ってよく言うけど、どうゆうことなの?と思っていたけど、
まさにそれにぶち当たった私。
まず、学童は夏休み・冬休み・春休みはお弁当。
お弁当最悪です。
だたでさえ忙しい朝にお弁当作りまで組み込まれてくると
毎朝パニック!
そして、一番困ったのがお迎えの時間に間に合わない。
・保育園→18時半以降は延長料金を払えば良い
・学童 →18時まで(どんな理由があってもそれ以降は預かれない)
保育園でもギリギリだったのに、
学童のお迎え時間にどうしても間に合わない。
自転車ノーブレーキでぶっ飛ばしても間に合わない・・・。
職場から毎回全力ダッシュで帰るのに間に合わない。。。
いつもちょっと過ぎて謝りながら帰宅。
これが辛かった。
学童からの集団下校がうまくいかない!
上の子は学童から集団下校もできるので、
17時に集団下校して、17時半から1時間半くらい
私が下の子と帰ってくるまで
一人で家で留守番してもらうように説得。
そうすれば、お迎えは保育園だけになってギリギリ間に合う。
でもこれがうまくいかない。
一人で待ってる時に「ゲゲゲの鬼太郎」をTVで見て、
怖くなって自宅マンションの外で泣いていた所を
同じマンションのママに保護されたり、
寂しいから勝手に人の家に上がりこんでいたり・・・。
さすがに数回続いた時に、集団下校は無理だな。
と諦めました。(´;ω;`)ウゥゥ
学童の役員がめちゃくちゃ面倒くさい!
学童って、働いているママしかいないでしょ?
なんで役員なんてあるのさ。
そもそもPTAもあるのに、学童入ったらプラスで学童の役員があるなんて。
最悪やん?
これが本当に面倒だった。
夜の全体会議とか、
お泊りキャンプとか
1年生の歓迎会とか、
お祭りとか、
色々やってくれるのは有難いけど、
親が率先して全部準備しないといけない。
もーホント大変。
保育園の行事と、小学校の行事と、学童の行事と、
とにかく頭がパニック。
授業参観を忘れるとか、
懇談を忘れるとか、しょっちゅうでした・・・。
ごめんね。こんなママで。泣
神だと思った学童の民営化
そんな毎日パニックの中、学童の民営化の話が出た!
しかも、運営するのは我が子が通っていた保育園の大元の会社。
ラッキー過ぎる~!!!!
通っていた保育園なら理事長も知ってるし、
役員もなくなるだろう。
お迎えの時間も延びるに違いない。
とにかくこの民営化の話、うまくまとまりますようにーーー!
と願っていたのですが、
一部の保護者が大反対!
え?なんで?楽になるよ?
なんでなの?ねぇ、なんで?
今の先生がガラッと入れ変わることに大反対の親が、
反対運動を起こして、市役所の人や新しい先生たちと
すご~く険悪な雰囲気でバチバチ・・・。
結局、それでも民営化が決まり、
3年の更新時にもし問題があれば
事業者を変えるということで無理やり納得させて
民営化スタート!
学童の民営化は天国だった
民営化の前は
ボロボロの汚い教室に無理やり押し込まれていた子どもたち。
先生も常に人手不足だったし、
新しい先生がやっと来た!と思ったらすぐに辞めていく。
先生の年齢層も高い。
その頃の先生たちにはすごく良くしてもらったし、
なんの不満もないですが、
民営化で決まった事業者は
通っていた保育園の先生たちが
来てくれて、上の子は大喜び!
同じ保育園出身の子どもたちも大喜び!
学童専用の2階建てのプレハブを新しく建てて、
広くて綺麗になり、新しい先生たちも
若い人が第一線になり、
ネイティブの英語の先生や、
プロサッカー選手がサッカーを教えてくれたり、
行事も全てが変わった。
大学生のアルバイトの若い先生たちも急に増えて、
いっぱい遊んでくれて、子どもたちも嬉しそうでした。
もちろんお迎えの時間も延長できて、
かなり精神的に私は楽になった。
「新しい学童はすごく良いらしい!」
と保護者でも噂になり、働き出す親が増えた。
ただ、役員だけは民営化反対の保護者が絶対にやる!
というので、役員は存続。
(新しい先生たちを監視したいらしい)
この時、私は会長に立候補。(全然キャラではないのだが)
ママ友さんたちを巻き込んで
役員を友達で揃え、
役員の仕事を一掃。
先生たちも役員はしてもらわくても大丈夫という
感じだったので、徐々に保護者の負担を減らす方向で
改革させてもらいました。
その時に思ったのですが、やはり学童の役員が
すごく負担だったママさんが多いこと!
でも役員って、やりたい人もいるんだよね。
ホント不思議。笑
それにしても、せっかく会長までして
学童の負担を一掃したのに、
この3年後にマイホーム購入で引越し。
隣の市に引越し。
上の子5年で転校。
下の子新1年生。
そこの学童はまだ民営化されておらず、
また一から出直し。
でも、この頃には出勤して働くということから
だいぶ解放されていたので、
2か月で学童やめました。笑
今でも引越し前のママ友さんたちとは、
よく飲んでおります。
しんどい時期を共に過ごしたママ友は、
最強の友です。
学級閉鎖の時も、子どもを預けあって仕事を交代で行ったり。
たくさん助けてもらっだし、
感謝しかありません。
(´;ω;`)ウゥゥ