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第3章  日本人の「生きづらさ」の本質 (4)

4.「引きこもり」の本質

「引きこもり」は、最近では日本特有の現象ではなく、世界中どこでも見られる現象になってきました。とはいえ、日本は「先進国」として、実例が多く研究も蓄積されてきています。私の主張する「ものがたり方程式」と「母性原理」を検証するための、うってつけの事例があるので、それをご紹介します。

一般社団法人ひきこもりUX会議という団体があって、その代表理事の林恭子さんは、高校2年生からおよそ13年間家にひきこもっていた、「引きこもり」の当事者です。そして自分の体験を「ひきこもりの真実」という本にまとめ、多くの講演会やセミナーで他の当事者やその家族とその体験を共有することを目的に活動しています。以下、彼女の著書から引用します。

P154

当時の私にとって高校を中退するなどということは、ありえない、あってはならないことだった。「できるだけ良い大学に行き、できるだけ良い会社に就職する」、ということが当たり前すぎるほど当たり前で、それしか未来のイメージを持っていなかった私には、高校を辞めるということはイコール未来を失うということだった。

そのころから少しづつ、ずっと抱えてきたもののぼんやりとしていた、学校や教師に対する違和感への自覚が始まっていった。

P161

結局大学も中退した。

絶望のどん底に叩き落とされるとはこのことだと思った。この先に続いていくと思っていた道が、つま先のところでスパンッ!と切り落とされ、目の前には飲み込まれるような真っ暗闇が広がっていた。

生きていてもしかたがないと思い、昼夜を問わずもがき苦しむ日々の始まりだった

P164

一方で、「このままではちゃんとした大人になれない」「ここで自分は何をやっているのだろう」という不安、「みんな先に行き取り残される」という焦りや未来への恐怖が年齢を重ねるごとに増していった。同年代の女性を見るとみんなが眩しく見えて、いつも目を背けていた。

P166

不登校や私の生き辛さの原因のひとつに、母との関係があると思い始めたのは、20代に入ってからだった。母の強いコントロールのもと、自分を押し殺してきたことに気づき始めた。

しつけや勉強、習い事にも大変に厳しい人で、特に長女の私に対しては厳しかったと思う。「私の言うことを聞いていれば間違いがない」というのが母の口癖で、私はどちらかというと率直で従順な子供だったので、母の言うことはすべて丸呑みにするように育っていた。反抗期もなかったし、口答えなど考えたこともなかった。

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「私には自分がない」

 ある日、「私には自分がない」と気づいた瞬間があった。自分が普段何を考え、何を感じていて、好き嫌いや、何を選び、どうしたいかと聞かれた時に何も答えられることがない、と思ったのだ。自分がどう思うか、どうしたいかよりも、母の言うことを完璧に子なうことが日常で、「私」はどこにもないと思った。それに気がついたとき、自分が立っていたと思っていた土台が足元から崩れ落ち、どこまでも底のない暗闇に落ちていくような感覚に襲われ、強い恐怖を感じた。

 「私はあやつり人形だったんだ」と思った。操り人形だった私は、不登校をした途端、吊っていた糸を突然手放され、ガッシャン!と床に崩れ落ちた。そしてそのまま起き上がるすべを持たず、不格好に倒れたままの自分の姿が浮かんだ。

ほんの一部の引用ですが、これまで私が展開してきた議論を裏付ける、いくつかの「証拠」を見付けることができます。

まず、林さんが所属する共同体とは何かを考えてみましょう。

林さんが所属する最も身近な共同体Aは明らかに母子関係です。家族と言ってもよいのですが、著書の中では家族については情報が不足しているので、ここでは母子関係に限定します。そして母子関係の上位に位置する共同体が、林親子が観念する「社会」または「世間」という共同体Bです。


ここでは「できるだけ良い大学に行き、できるだけ良い会社に就職し、ちゃんとした大人にならなければ生きる価値が無い」という「ものがたりB」が支配しています。共同体Aは共同体Bの「ものがたり」を、ほぼ完全に共有していて、それが林さんにとっての「外なる法」(望ましさを強いるもの)となっています。

林さんは、「学校や教師に対する違和感」などが原因で、高校で不登校になって中退し、その後、何とか通い始めた大学もすぐに辞めてしまいます。そのような事態に陥った彼女は、「この先に続いていくと思っていた道が、つま先のところでスパンッ!と切り落とされ、目の前には飲み込まれるような真っ暗闇が広がっている」と感じたのでした。

まさに、「望ましいものがたりの望ましい配役から脱落し、共同体から追放されるという恐怖」です。これが、林さんが認識した表象と出来事を、「ものがたりB」によって意味づけた、彼女にとっての「現実」だということが良く分かりますね。そしてその「現実」が投影された「自分」に彼女は絶望し、以来、自殺を考えるようになるほど追い込まれて、引きこもってしまったのです。

やがて林さんは、自分の「生きづらさ」の原因は、自分が母の「操り人形だったこと」であり、「操り人形だった私は、不登校をした途端、吊っていた糸を突然手放され、不格好に倒れて、起き上がるすべを持たなかった」のだと認識します。

「操り人形」という林さんの表現は、彼女の行動原理であるべき「内なる法」が、母子関係を経由して、「できるだけ良い大学に行き、できるだけ良い会社に就職し、ちゃんとした大人にならなければ生きる価値が無い」という「ものがたりB」に浸食され融解してしまっていたということを表しています。

林さんの共同体Aの母子関係は、母による子の存在の絶対的な肯定という母性原理が、一見働いていないようにも見えます。ここでは引用しませんでしたが、不登校・引きこもりになった後の母親の恭子さんに対する態度は、共同体Bの代理人かと思わせるほど極めて否定的なものだったそうです。子供の全てを肯定し、抱擁するという態度ではないように見えますが、客観的に見れば、母親は娘が13年間も引きこもっていたことを、受け入れていたとも言えます。一緒に生活し、食事を与えていたのですから。

おそらく林親子の母子関係は、「強要型母性原理」と呼べるでしょう。とはいえ、母が子にとっての自己愛(望ましさ)の基準であり、「母にとっての望ましい子」を演じることが、林さんの「自分」の姿であり「居場所」だったという点では、「抱擁型母性原理」と違いはありません。その結果として、「内なる法」が浸食され融解してしまったのです。

引用した文の中で林さんが、「私には自分がなかった」と言っていますが、私の定義によれば、彼女はことばの用い方を間違っています。彼女には「自分」が無かったのではなく、「選択肢、決断し、責任をとる主体としての我」が無かったのです。(続く

                                                    *第3章その1の要約


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