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JK神聖視

今日もお疲れ様でした、くまはんです。
色々と忙しいとnoteの更新って滞ってしまいますね。
友達と会うだけで一ヶ月くらい予定が埋まっていく。
幸せだなと感じています。


最近ふと目にしたポカリスエットのCM。

こういうCMを見ると、「夏=JKの汗」という少し気持ちの悪い記号がある気がします。
社会を知らない、制服を着た未成年。
そうした属性に、無知であるが故の「清純」という記号を与える。
恐らくポカリのCMも、その清純な汗に取って代わる清涼な飲料水というイメージを打ち出したいんでしょう。
僕はこれがあまり好きじゃない。

こういった広告のせいでJKの神聖化が進んでいると僕は思ってます。
JKはJKであるだけである種の特権が付与される。
それは高校生全体ではない。
男子高生ではなく、女子高生だけ。

日常で当たり前になっているだけでスルーされているけれど、この現象はかなり異質なモノだと僕は思ってます。
神聖化と言ってしまうとよく分からないかもしれませんが、簡単に言うと「JKであるだけでカワイイ」ということなのかもしれません。

そしてJKには清純という記号が与えられる。
ただ傍から見ても彼らがJKかどうかわらない。
JKがJK足らしめているのは制服以外何物でもないんです。
つまりこう言い換えれます。
JKの制服に清純という記号が与えられている、と。
JKの制服という一つの記号。
アイドルとかもよく着たりするのはこういった記号を身に着けることが手っ取り早いからですよね。
危険なのはこの記号というのは性癖の対象になりやすいということ。

まあなので何が言いたいかって言うと、社会を知らない穢れを知らない清純という記号を与えるからこそ、その記号に犯罪の矢印が向いてしまうということ。
こういった類の広告を打ち出せば打ち出すほど、JKという存在の価値が高まってしまい、矢印の濃さを強める気がするんです。

というのはまあでも建前です。
単純に僕はJKに商品を持たせるだけの広告が好きじゃないってのが本音ですね。笑
この記号に商品を持たせることが広告として成立させていることが安直な気がする。
制服を着た女性にチョコを食べさせたり、飲料水を飲ませたりすることは広告の本質じゃない。
だからこの手の広告を見ると少しだけ残念だなって思ってしまう。
なんだか簡易なテンプレートに乗っかってる気がして。

といいつつ、暑い日はポカリを飲むんですけどね。
気を悪くされた方がいらっしゃったらすみません。


質問コメントお待ちしております。

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