1.0 経済成長という病
さて、0.0で述べたとおり、私の第一の主張は、経済成長を主軸とした国家運営からの脱却である。ここからの一連の投稿(1.X)は、この主張を軸に展開されることとなる。
このような議論を始めるためには、まずは大上段に振りかぶって、というのが私の流儀である。
ついては、まずは一見関係のない話題、すなわち国家と個人の関係から議論を始めるつもりである。言い換えると、私の近代観について説明することになるだろう。この理解は極めて重要で、私のこれからの議論の根底をなすものとなる。
そのうえで、経済成長を主目的とする国家運営は自然なことであるという、一見私の主張と相反する意見を肯定する。国家が国家として作動するとき、国家単位での目標を設定することの何が悪いのか。
この観点を前提としたうえで、具体的な議論に入る。0.0でも雑観したところだが、まずは経済成長という指標の適切さを問い、そのあとに経済成長の主体は果たして国家なのかという議論を行う。
最終的には経済成長を軸とした国家運営の危うさを問うこととなり、次の選択肢、すなわち分配に議論を進めることとなるだろう。
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