維持の尊さに感謝

体温計が壊れた。毎朝、幼稚園登園前の娘をチェックする非接触体温計だ。手を滑らせて落としてしまったから仕方ない。精密機器だったと再認識する。離れた距離で温度を測れるのだからすごい技術だ。コロナ以降、すっかり標準的な道具の一つになった。感染予防もあるが、家庭内ではそれ以上に、じっとしてられない子供の検温に重宝する。

自分自身も仕事柄、出社が多いので検温が日課になっている。自分は昔から使っている接触式。毎朝、決まって36.4度。測定結果が安定する。しかし、考えてみればこの安定、体温計もさりながら、身体がすごい。幸い、コロナウイルス感染症拡大以降も健康に過ごせてきた。ワクチン接種後の高熱以外では、ずっと体温が維持できている。別に意識せずにそうなっている人体の神秘に感謝する。維持されることは、あらためて尊いと感じる。

えてして、変化は注目される。コロナ後も、業態転換した企業、オフィスを移転した企業は話題になる。テレワークやオンライン授業のような生活スタイルの変化、物流やサービスも変わると話題になる。一方で、維持されていて変わらないものは、あまり注目されない。行きつけのカフェも、タイ料理屋も、コロナ前後で変わらず、営業し続けている。コロナ直後、顧客がずいぶん少なくなったときもあった。お客さんがいなくても通い続けて、何となく馴染み客になってしまったひいき目を割り引いても、赤字だろうと、感染のリスクがあろうと、開店し続けることは頭が下がる。が、話題にはならない。物価高騰で値上げしたらニュースになるが、値段を頑張って維持しているサービスは目立たない。維持に派手さはない。だが、簡単なことではない。本当はもっと目を向けた方が良いと感じる。

維持されていることの大事さを再認識することが増えている。身近な環境もそう。エネルギー、平和、安全、民主主義など、根本的なことも揺らぎ始めている。もっと興味を向けないと、維持は難しい。変化は大事だ。だが同時に何を維持したいか考えねば、うっかり手を滑らせて失ってしまってからでは遅い。

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